5/24/2019

チャリティショップで見つけた宝物。

イギリスにはチャリティショップがどこにでもあります。私の住む町は人口4000人の比較的小さな町ですがチャリティショップは2件あり、買い物に出るたびに覗いています。

チャリティショップでは使わなくなったものをお店に 持って行けば、それを売ったお金をチャリティに回します。どのチャリティかは、それぞれのお店の看板で分かります。「動物愛護」「心臓病リサーチ」「ホスピス」・・・・・・
 

先日は日本の甥が大きいサイズのBarbourのジャケット(蝋でコーティング、防水されたイギリスの昔からのメーカー)を近所のチャリティショップで40ポンドで買っていきました。おしゃれな甥は、このジャケットをわざとダフッと来たいとのことでしたが、来てみると素敵。モデルみたい!・・・・・とお世辞半分。

チャリティショップで40ポンドは 超高額な値段です。Barbourだから仕方がないのですが、私が購入するものはほとんどは10ポンド以内のものです。それでも引っ越してからは「これ以上ものを増やさない」をモットーに暮らしているので、買い物の数もかなり少なくなりました。

さて、先日チャリティショップで久々に 掘り出し物を見つけました。高い棚にメタルのお盆がディスプレイされています。良く見ると、お盆の台になっている茶色の紙に包まれた箱のようなものに「キング・ジョージ5世」の文字が見えたので何かしら?と思いお店の人に来てもらってお盆を取ってもらいました。お店の人は、私がてっきりお盆に興味があるとばかり思って「これはイギリスの古い風景画をコピーしたものなんですよ。すてきでしょう?」と。まさか、私がその土台になっているものに興味があったとは!

その茶色の紙に包まれたものは一冊の本でした。




1936年に今の女王の祖父であったジョージ5世が逝去された直後に出版された本です。大切に紙で覆われた本は布地で丁寧に作られたことがわかります。「記念すべき70年」という題です。






中はほとんどが写真ですが、メアリー女王から国民にあてたお言葉、カンタベリー大司教のスピーチなどが書かれています。





 

読んでいるうちに私の頭は1900年ころに戻り、そこから1936年までの旅が始まりました。

ヴィクトリア女王からの4世代。 ヴィクトリア女王が抱いているのがエドワード8世。後ろがエドワード7世、ジョージ5世。




ジョージ5世の後を受け継いだエドワード8世はこの本では「新しい王」と記されています。それが一年も経たないうちにアメリカのシンプソン夫人との結婚が認められずに退位、現在の女王の父君が王座に就きます。

ビクトリア女王からの家系図。右下が現在の女王。 この時点では今の女王が即位される可能性は極めて少なかったのです。




この本の写真ではビクトリア女王の時代からジョージ5世が亡くなるでのイギリスが手に取るようにわかります。その中から、ほんの少しですが皆さんにお裾分け。


世界で最初の車道 が1934年にロンドンに出来、その開通式。




ジョージ5世による最後の国民宛のクリスマスメッセージ。ラジオ放送。




1865年から1900年までのイギリスの「時の人」
最下段真ん中に看護師の教育に当たったフローレンスナイチンゲールがいます。




1901年亡くなったヴィクトリア女王のご遺体がウィンザーに運ばれます。夏目漱石は、この様子をどこかで見ていたという記録があります。




なんと1905年に日露戦争で日本軍を勝利に導いた東郷平八郎の写真も。




1912年南極探検に出かけたスコット船長と隊員たち。




1912年に処女航海で沈んだタイタニック号の絵。 




20世紀の始まり。流行のイブニングドレス。




1914年の時点でのリーダーたち。最上段左がウィンストン・チャーチル。







「国と王は君たちを必要としている!」という第一次世界大戦直前のスローガンでボランティア兵士を募りました。このポスターは、現在でも販売商品のデザインなどで良く目にします。




流行のファッション。




1915年から1925年にかけての人気スターたち。最下段左にチャップリンがいます。




1924年、現女王のご両親の結婚式。




1936年ジョージ5世ご逝去のアナウンス。





最後はジョージ5世戴冠25周年の年に、王から子供たちに送られたメッセージで終わっています。




この他にも沢山の写真が載っていて、全部お見せできないのが残念ですが興味のある方には是非いつか見ていただきたいです。

この本は私の宝物のひとつとして大切にしたいと思います。それにしても3ポンドの宝物はダイヤの指輪より価値がある!

5/23/2019

ウェールズに日帰りで。

今回のお客様は60歳以上の男性2名、女性4名の6名です。オーガナイザーの方とはだいぶ前からお付き合いをさせていただいています。今回、私はドライバーガイドとして通常公共交通でつなげるのが一日では難しい場所をご案内しました。

一番の目的はアフィントンのホワイトホースと、ウェールズのティンタン・アビーでした。泊まりなしの一日観光でしたから、時間をどうやって節約するかが大事です。考えた結果、ロンドン発着ではなく、オックスフォード付近まで列車で来ていただくことになりました。ロンドンからの出入りに時間がかかるので郊外発着とすれば、かなり時間の節約になります。皆さんは外国からイギリスへ旅をする観光客を対象に発券されるブリットレイル・パス(期間中何回でも列車に乗れます)を持っていらっしゃったので、更に好都合でした。

ホワイトホースとは、‛ヒル・フィガー’ の一つです。‛ヒル・フィガー’は丘の急斜面に(特に石灰の多い土)遠くからでも真っ白なフィガーがくっきり見える人間や、馬の形を掘ったものです。後で石灰を流し込んで更に白さを強調したようです。新しいものもあればいつ掘られたかわからないほど古いものまでいろいろですが、アフィントンのホワイトホースはその中でも一番古く(3000年前に造られたともいわれます)長さは110メートル。


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/48/Uffington-White-Horse-sat.jpg


さて、このホワイトホースをどこから見るかが問題です。実際に丘まで登ることもできますが、登ってしまえばもちろん全体の形をとらえることはできません。もともと遠くから眺めるために造られたのですから。

ウェストブリーのホワイトホースのように どこからでもくっきり見えるものと違います。色々ネットで検索しても、完璧な場所が見つかりません。尻尾の部分しか見えなかったり・・・あるサイトで、Great Coxwellの村の教会の墓地南側から見えると書かれていましたので、まずは行ってみることにしました。

この日はお天気は悪くなかったのですが、少し霞がかかっています。私が村の人に聞きに行っている間にお客様は、望遠鏡を通して遠くのホワイトホースを確認されました! ああ、よかった。ほっとしました。一眼レフに望遠レンズを付けて撮影した写真を許可を得てコピーします。

                          井沢浩一様撮影

私が何より驚いたのは、このデザインです。イギリス中にあるホワイトホースは、これよりも新しいのですが、このデザインは何ってモダンなんのでしょう!素晴らしいデザインに感心します。

さて次は、西へと進み、イングランドのグロスター州から国境を越えてウェールズのモンマスシャー州に行き、ティンタン・アビーという僧院を見学します。

ここでちょっとしたハプニング。ティンタン・アビーまであとちょっとという地点で何と、道路が閉鎖していることがわかりました。しかも一本ではなく、アビーの周りの道がほとんど閉鎖です。

道を歩く人に聞いたりして、やっとティンタン・アビーに到着です。大分迂回したので行き帰り合わせて20分くらい無駄にしてしまいました。







現在の建物は1131年、カソリックの中でも特に戒律が厳しいとされるシスターシアン派の修道院としてイングランドでは2番目に建てられたものです。まず回廊から始まった建築は13世紀にほぼ完成しました。その後400年の間に更に少しづつ増改築が行われています。イングランドの他の修道院と同様、廃墟になってしまったのは16世紀にヘンリー8世がローマン・カソリックから離脱する際に行った修道院崩壊が理由です。屋根に使われた鉛は最初に売り払われました。屋根がなくなれば荒廃は進む一方です。







18世紀にはいるとこのロマンチックな修道院の廃墟は返ってワイルド感を好む観光客に人気となり、文学者ではワーズワースやコールリッジ、画家ではターナーなどが作品に描いています。特に今回のお客様は、ワーズワースの詩「ティンターン・アビーの数マイル上流にて詠めるうた」に関心がおありのようでした。








時間を節約するために、ランチも持参のもので10分で済ませたおかげで、ティンタン・アビーの後はハリーポッターファンのお客様のたってのご希望でレイコックへ向かいました。撮影が行われた修道院はヘンリー8世から買い受けたウィリアム・シャリングトン卿が、家族の住処として使ったために廃墟にはならずに済みました。




シャリングトン卿が加えたタワー。




帰りはChippenhamの駅から、お客様は再び列車でロンドンに帰られました。日帰りでウェールズを含む3か所を周ったのは私も初めてです。ドライバーガイド、又は専用車でロンドン発着ですと時間がかかりますが、ロンドン近郊発着は特に時間のない方にはお勧めです。

6名の素敵な方々とご一緒させていただき、またお天気にも最高に恵まれて、 楽しい一日でした。

5/22/2019

自然の知恵

散歩が益々心地よい季節になりました。

毎日の犬の散歩で通る公園には、バターカップとデイジーがまるで緑のキャンバスに沢山の点を描いているようです。バターカップのつやつやした黄色は眩しいくらいですし、デイジーの可憐さは小さいころに似たようなお花で首飾りを作ったのを思いださせてくれます。








 マロニエの木はイギリスではホース・チェストナッツと呼ばれます。日本では「西洋とちの木」で、とちもちを作るそうですが、イギリスでは秋になる実(とちの実)にひもを通してぶつけ合う子供の遊びくらいにしか利用しません。

今、イギリスはこのホース・チェストナッツの花が満開です。 毎年、この花を見ていつも思うことは自然の知恵のすごさです。

ホース・チェストナッツの花は白と深いピンクがありますが、多くは白の花。まるでシャンデリアのようです。(このことからイギリスでは「ろうそく~キャンドル」呼ばれます。(「今年はキャンドルが早く灯りだした」など)



良く見ると、白い花の中には黄色、またはピンクの点があります。








この点は 最初は黄色で、徐々にピンクになっていくようです。蜂は開いた花から順に蜜を吸うのでエネルギーを無駄にしないためにピンクの点のある花には、「どうせ行っても蜜がないから」と黄色の点のある花だけを求めるとか。蜂のために自然が考えた知恵なのでしょうか?

また蜂が蜜を吸うことによって、受粉が終わった花の点がピンクになっていくのだと言う人もいます。

どちらにしても黄色からピンクになることで、蜂に無駄なエネルギーを使わせない結果になっていることは間違いないようです。人間もそうですが、自然は地球が健全であるための知恵を良く知っているようです。人間はその知恵にありがたく感謝し、偉大な力を持つ自然そのものをもっと大切にしなければいけませんね。





5/21/2019

寝台車でロンドンへ。

セント・アイヴスは陶芸家のバーナード・リーチと彼に同行した日本の陶芸家の濱田庄司が造った製陶所がある他、テート・ギャラリーの別館や、彫刻家のバーバラ・ヘップワースの家などがあり、特に芸術家が好んで住んだ町です。その昔、漁業が盛んだったころに漁業資材を保管しておいた倉庫などを彼らはアトリエとして使っていました。








ここからロンドンに帰るには車で5時間以上かかります。今回は、夜行列車で帰りました。まずセント・アイヴスからペンザンスまで専用バスで行き、そこから寝台車でロンドンに向かいます。列車ですともっと時間はかかりますが、眠っている間にロンドンに到着しますので便利。





 

発着駅であるペンザンスとパディントン駅にはシャワー室がありますので、リフレッシュしてから一日が終わり、再度リフレッシュしてから一日が始まります。寝台室には一応小さな洗面所が付いていますがトイレは共同です。




ベッドは異常に狭く、体の大きな西洋人は寝返りも打てないのでは?と、心配になるくらい。

7時間半後、「眠れない、眠れない」と思っていたのに、気が付いたら列車は泊まっていました。無事にパディントン駅に到着していたようです。着いてすぐに下車する必要はなく、1時間以上はベッドで夢心地のまま過ごせます。

早速パディントン・ベアーのお出迎えを受けました。






5/20/2019

セント・マイケルズ・マウントのブルーベル

セント・マイケルズ・マウントから本土に戻る時は、そろそろ潮が満ちてきました。




早く戻らないと、溺れてしまう!というのは大げさですが、靴がじゃぼぬれになってしまいます。急ぎ足で戻りました。


夕食時にはすっかり離島になったセント・マイケルズ・マウント。





 島では生粋のイングリッシュ・ブルーベルが咲いていました。お客様もカメラを取り出して。










コーンウォールでは道端にさえ、ちょこちょこと咲いていて驚きました。ロンドン周辺でも生粋のイングリッシュ・ブルーベルを見るには古代の森まで行かなければほとんど無理です。ましてや道端に咲いているブルーベルは、全部と言っていいくらいスパニッシュ、またはその混血です。外来品種やその混血は生命力が強く、土着のブルーベルは生き絶えてしまうので、イングリッシュブルーベルを残そうという動きがあります。

コーンウォールには、まだスパニッシュ系のブルーベルは少ないのでしょうか?人々が庭に植えてしまえばそこからどんどん広がっていきますから、庭にもできる限り植えないようにしているということなのでしょうか?

生粋のイングリッシュ・ブルーベルが絶滅してしまうことになったら何とも悲しいことです。