11/09/2015

レスターシティ フットボール観戦 ~ 岡崎選手に会う!

一昨日、英国政府観光庁からのご招待で、プレミアリーグ第12節レスター.シティvsウォットフォードのフットボール試合を観戦してきました。イギリスがプレミアリーグとタイアップして観光を奨励していることがとても嬉しく思いました。


ロンドンからレスターまでは列車で、そこからタクシーで10分くらいのキングパワー.スタジアムに到着。岡崎さんの写真が正面にデーンと出ていて「やってきましたよ!応援しますからね!」とまずは写真にご挨拶。








グラウンドに面した試合がよく見えるところに沢山の小部屋があり、その一室でまずはランチです。
 
 
 

 
席について間もなくして、「今日の試合に賭けをしてみませんかー?」と女性が部屋を回ってきました。そうだ!フットボールに賭けはつきものだった。
 
 
 

普段はギャンブルには全く興味のない私ですが、思わず今回ベンチスタートのOKAZAKIと書かれているマスに握っていたペンが勝手に向かっていました。(このマスには金額を書かなくてはならず、後でやり直し。)
 
 
 


 
ここでももちろん、ベジタリアン用の料理の選択があります。これから応援に頑張るつもりが3コースのランチに満腹。椅子から立ち上がるのがちょっと困難になってきました。
 
 
 
 
参加者8名のうち6名はロンドン在住です。まずは自己紹介、その後食事をしながら楽しいおしゃべりに花が咲きました。ほとんどの方がメディア関係の方たちで、色々貴重な情報交換もできました。そうのうちに徐々に会場に人が入ってきて、試合開始の準備が始まります。
 
ランチ終了後はガラスのドアを開けて観戦用バルコニーに座ります。こんなところで見れるなんて。しかもすぐ下がメディア関係の人の席にになっていますので、選手の動作がはっきり見えない時は、彼らのモニターを見ればよくわかります。なんてラッキーなんでしょう!
 
 
そのうちにすごい騒音と共にヘリコプターがグラウンドに降りてきました。いくらVIPと言ってもこんなに派手なことをする人は誰でしょう? オリンピックのオープニングセレモニーで、女王様がヘリコプターから飛び降りるシーンが思い出されます。今日この場で一番大切な人とは? レスターシティFCのタイ人オーナーが自家用ヘリコプターでグラウンドに降りたり飛び立ったりする話は聞いていましたが。
 
 
 
 
 
 
 
ウン? オーナではなさそう。
 
 

 
 
あれ?ヘリコプターから降りた人が持っているのは? ボール? そうだ! ボールがヘリコプターで運ばれてきたのです。この場で一番大切なのはボールだったんですね。納得。
 
試合が始まる前にちょっとしたセレモニー......

 
 
 
 
試合開始直前に黙とうが行われました。客席に用意されたクラップバナーはその一面が白い無地、もう一面にはレスター.シティFCのロゴが入っています。



 
 
 



ただ正面の人たちのクラップバナーの一面は白ではなく、赤や黒になっています。毎年11月、イギリスでは戦争で亡くなった方たち(特に第一次世界大戦から)に追悼の意を表します。時間が来ると観客が全員クラップバナーを頭に載せて黙とうが行われました。そうしたら赤、または黒のクラップバナーを頭に載せた人のところに芥子の花ができました。芥子は戦争で亡くなった方たちに捧げる花です。イギリスはいつの世でもフットボールファンが沢山います。そして今でも戦場で戦っている人もいます。最近でもアフガニスタンなどで亡くなった兵隊さん多くいました。その人たちの中にもフットボールファンは大勢いたはずです。

 
 
 

 
 

さあ、いよいよ試合開始です。レスターシティが有利になったり、ガッツが必要な時は観客席にいるひとがみんなでクラップバナーを叩きますから、その音はすごいものです。
  
 
 

 
 
 
しばらくすると岡崎がウォーミングアップを始めました!
 
 

 

 
後半戦です。岡崎は最初からグラウンドに立ちました。何故か20の背番号がどの選手のものよりはっきり見えました。
 
 
 
 
 
 
結局レスター.シティは2対1でウォットフォードに勝ちました。ゴールが入るたびに興奮の歓声があがりますが、一緒にいた人たちは「賭けたこと」も手伝って余計にレスター.シティを応援していたみたい(?)。
 
 
 
試合終了後、会場を出ようと下に降りたところでなんとレセプションに選手のひとりがいたそうです。弟さんが昔からレスターシティの大ファンという同僚だけが気づいたようで後でおしえてくれました。気が付かなかったけど、ラッキーなことに間違いはありません。

「さあ、タクシーで駅まで戻りましょう」と、外へ出ましたが試合終了からずいぶんたっているにもかかわらずタクシーがつかまらない!こんな状態ではいつロンドンに戻れるかわかりません。「もう一度建物の中に入って、タクシーを待ちましょう。」と、建物に向かって歩いていたら....なんと岡崎がいるではありませんか!皆相当興奮していました。一緒に写真を撮ってもらったり。なんと記念写真に夢中で、彼だけの写真を撮った人は誰もいませんでした。
 
 
でもラッキーでした!タクシーがつかまらなくてよかったー。
 
 
そして、運はその後も続き、なんとこの試合でプレミアリーグ史上二人目となる9試合連続ゴールをとったジェイミー.ヴァ―ディがいるではありませんか!
 
 
 

 


岡崎のワンショットを撮り損ねたので今度は友人が記念写真の後、ばっちりヴァーディをおさえてくれました!常にニコニコ答えてくれて感じがいいこと!
 

 
 

 
タクシーがつかまらなかったおかげで3回、運に恵まれました。一緒に参加した人の中にはウィリアム王子と握手して、そのすぐ後にラグビーのゴローマルにサインをしてもらったという超ラッキーな人がいました。今回は彼女の運を他の7名がいただいたことになります。Kさん、ありがとうございました。
 
 
 

11/08/2015

クモの巣を探して。

数日前の朝。散歩から帰った主人が「クモの巣がものすごく綺麗だから観に行ったら?」とおしえてくれました。「クモの巣(cobweb)?そんな名前の植物あったかしら?」

まさか蜘蛛が作るあの蜘蛛の巣とは考えていませんでした。それで庭に出てみると、まあー、本当に綺麗!


一体どうやって作ったの?






 
 
そこで、30分くらい家の近所でクモの巣探しをすることにしました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
クモは人からは嫌われることが多いですね。でも、こんなに素晴らしい芸術品を作るものと思えば見方も変わって来るかも? ずっと前に「クモがこの世から消えたら人間は生きていけなくなる」という記事を読んだことがあります。クモが人間の害になる悪い虫を退治してくれるからです。ですからクモを見て、ティッシュペーパーでつまんで殺してしまう人を見れば悲しくなります。
 


11/06/2015

長州ファイヴと薩摩ステューデント

9月に帰国した時に、弟が「これ、おもしろいから観てごらん。」と、NHK大河ドラマ「八重の桜」のDVDを全巻借りてきてくれました(50巻以上あったはずですがあっと言う間に見終えてしまいました)。それですっかりはまってしまったというわけです。幕末の日本の男たちの自己も顧みずひたむきに藩のため、国のために確信することに向かって生きる日本魂、そこに周りの愛する人への深い思いが加わって感動ものでした。ドラマですから実際とは違うところが沢山あると思います。そんなことはわかっているのですが、私の中では八重さんの、そして尚之助さまやジョーの存在がドラマを観ているうちにどんどん大きくなっていくのでした。また役者さんたちが適役で益々ドラマを盛り上げていました。

さて、先日は長州五傑(長州ファイヴ)、薩摩ステューデンツに興味のあるお客様をロンドン観光にご案内しました。長州は「八重の桜」の中では会津藩と戦っていますが、長州藩には長州藩の事情というものがあるし、会津藩だけの立場を考えることはできません。

「藩の近代化を進めるには西洋を見ること、学ぶことが大切である」という長州藩主の命令で、1863年当時日本人の海外渡航が禁じられていたにも関わらず密航、中国を経て6か月後にロンドンに到着したのは井上薫、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、野村弥吉の5名でした。(日本の近代化に貢献したという理由でイギリスでも注目を集め、‘長州ファイヴ’と名付けられました)

まずその日向かったのは、5人が学んだユニヴァースィティ.カレッジ.ロンドン(UCL)です。
 
 
 
 
 
当時、オックスフォード大学やケンブリッジ大学とは違って人種、宗教に関係なく入学できたユニヴァースィティ.カレッジ.ロンドン(現在はロンドン大学の一部)で彼らは後に薩摩からやってきた19名の‘薩摩ステューデント’と出会います。かつては、戦争を交えたことのある長州藩と薩摩藩ですが、実は薩長同盟が結ばれる前に、お互いに助け合って日本の近代化に尽くす非公式ではありますが、立派な同盟が遠いロンドンで結ばれていたことになります。


さて、この大学にある長州ファイヴと薩摩ステューデントの記念碑は以前も訪れたことはありますが、こんなに目立たないところにあったなんて。もしかしたら隣にできた建物のせいかもしれませんが。


 


表には英語で、裏には日本語で留学生の名前が刻まれています。
 
 
 
 
 
 
 
「八重の桜」に出ていた新島譲もやはり近代日本の教育に尽力した人物ですが、密航の際には函館からアメリカの船に乗っています。今回函館でその記念碑のある場所に行きました。(「八重の桜」の新島譲のイメージとはかなり違っていましたが譲の銅像がありました。
 
 
 
 
 
 
 
1864年、海外渡航禁止令が出ている中、「世界を周って見分を広めたい」という気持ちひとつで譲が密航したのは、函館のこの地からでした。帰国してからは日本教育の近代化に努め、現在の同志社大学の基を築きました。
 
 
長州ファイヴ、薩摩ステューデント、新島譲の時代から150年しか経っていないのに世の中は随分変わりました。あのまま鎖国を続けていたら、今日本という、国はあったでしょうか?と思います。掟を破ってまでも国の将来のことを考えた彼らがいたからこそ今の日本があることを忘れてはいけないとつくづく思いました。


10/31/2015

今のイギリス

友人の家に行く途中、色づいた木々のあまりの美しさに、「すごい!」を連発しながら運転しました。




本当は時速20キロくらいに落としてゆっくり運転したいところ。いくら車の数が少ないとはいえ、危ないことはいたしません。

ということで、駐車できるスペースのあるところで車を停めて、少しの間森を散歩することにしました。カメラを持っていたのが幸いでした。数時間前に少し降った雨で光っている落ち葉の上を歩く感触は気持ちの良いものです。




木やその葉から発せられる酸素を心で一杯に吸い込んで。




遠くの人が見えますか?背の高い木ばかりで空が狭く感じられます。
 




こんなに沢山ある木は良く見ると、もちろんですが葉っぱの形も色も全部違います。「葉っぱも皆違うし、人間もそう。皆違う....」なんて独り言を言いながら、一本一本ゆっくり観賞していきます。同時に写真もパチパチ。

 
葉は木についている葉だけではありません。地面に落ちた枯葉、高い枝から低い枝に落ちてちゃっかり他の葉の上で二度目の人生を楽しんでいる葉っぱ。




 
 
 



牧草地の向こうにある森はまるで‘色の交響楽’でした。
 
 
 
 
 
 
仕事もめっきり減ったこの時期にいつも思うことは、「日本ではイギリスへは秋冬には行かない」という定説があること。とてもとても残念です。この時期だからこそ見ることのできる素晴らしい景色がここに沢山あることを、是非思い出してください。
 
 


10/29/2015

‘ 庭猫 ’

何回かお仕事でご一緒したカメラマンの安彦幸枝さんの写真集 ‘庭猫’ が出版されました。




アフとサブと名付けられたその猫たちは、いつも一緒。まるで仲の良い夫婦のように寄り添っています。

 “ 二匹はいつも一緒に過ごし、空腹になると飛び上がって網戸に張り付き、家のなかを覗きこん
  では食事の催促をする ”


安彦さんのご実家では12歳と13歳の親子の猫を飼っていらっしゃって、その息子の背中には猫が張り付いたような模様があるのです。

写真一枚一枚が私に何かを語りかけ、涙したり、大声で笑ったり...

表紙に書かれているように 「ちょっと奇妙でちょっとせつない 一所懸命な猫の話」は動物の心が表れた素晴らしい写真集です。

10/26/2015

女王様の好きなもの

どこでも王室や皇室に関してはグレイの部分、つまり「よくわからない部分」というのがあります。報道されない部分のことです。報道する側が勝手に書きたてることはあっても王室や、公的機関から発表することがない事柄です。それは個人的なプライバシーを守るという意味ではとても大切なことだと思います。でも、「そんなことが何故発表されないの?」ということもあります。

例えば王室御用達のお店で「女王様はこのお店のどんな商品を注文するのでしょうか?」と訊ねると、どこのお店でも「それはお答えできません。」という返事が返ってきます。それは一般人に対して女王の好みの影響が大きすぎるからかもしれません。納得。女王と同じものを食べて、同じものを着れば最高のものを身につけたように感じ、その結果同じものが沢山売れるでしょう。女王だって別に勧めているわけでもないのに責任を感じちゃうかも?

また例えば貴方が女王様を夕食にご招待したとします。当然、女王様のお好きなものをご馳走したいでしょうから、「何がお好きでしょう?」と訊ねたとします。でもそれでさえ「お答えできません。」と言われるでしょう。その理由は、‘好物を言ったら、どこに行ってもそればかり出されるから’だそうです。

ところが最近タイムズ紙で珍しい記事を見つけました。‘マラソン女王の秘められたパッション’という見出しです。




それによりますと、女王はダービー、ロイヤルアスコット、グランド.ナショナルなど馬に関する競技には全て興味をお持ちですが、実はマラソンも大好きでテレビでご覧になっているとか。しかも興味の度合いが半端ではなく、お客様がいらっしゃる時でさえ、ご覧になることもあるそうです。これは最近発表された口頭による英連邦における王室の歴史で明らかになったもの。

それによれば、女王がとてもインフォーマルな方であるということも書かれていました。以前は、私は女王様は朝ごはんの時でもティアラを被って召し上がるのかしら?と考えていたこともあります。

タイムズ紙にはこう書かれています。

    女王のプライベート船ブリタニア号での(現在はお役目を解かれてエジンバラの観光名所
    になっている)朝食はセルフサービスだけでなく、朝からアルコールを飲みたい人も自分
    で勝手に飲むことができる’

    英連邦競技大会がオーストラリアで行われた際に、大会の委員長、副委員長がブリタニア
    号の朝食に行った時のこと。朝食の部屋に通された後、女王が「朝食はあそこに用
    意してあります。大きな朝食のバーもありますから強めのドリンクがご希望であればご自由
    にどうぞ。私はマラソンを見てきます。私はマラソンが大好きなんですよ。船の中ではご自由
    にお過ごしください。どうぞごゆっくり。」

    そして女王はテレビのスゥィッチを入れられた。

タイムズ紙によれば女王のお好きなものはマラソン以外に
    鳩のレース......サンドリンガム宮殿で鳩を飼っていらっしゃる。
    食器洗い.......ピクニックの後の食器洗いがお好き。
                 サッチャー元首相がこれを見て、ゴム手袋を使用せずに食器を洗う女
                 王のお姿にショックを受け、後日ゴム手袋を女王に送った。
    タッパウェア......女王の朝食のシリアルはタッパウェアーに入っている。
    テレビ番組.......「イーストエンダー」

お好きなテレビに関しては驚きました。セックスあり、ジェラシーあり、暴力あり、殺人、結婚、離婚、不倫....などたっぷりの下町の品のないドラマ「イーストエンダー」がお好きとは!

でもシャーロックホームズの殺人ものやダウントンアビー、刑事フォイルなど私が好きな番組は、
私の周りには無関係の世界。それが返っておもしろいのです。女王様にとっては「イーストエンダー」の世界は周囲では正に起こりえないことばっかりです。そういうものに人間って興味をもつのかも?関係ないから楽しめる.....ということでしょう。もし起こりえることだったら心配で、怖くて見ていられません。

女王も私も同じ人間です。このタイムズ紙の記事を読んだら、なんとなく女王がもっと身近な存在になった気がします。もしかしたら女王も私みたいにティアラではなく、パジャマを着てテレビを見るのかも?

10/23/2015

貴族の館 ポーウィス城。

先日、ナショナルトラスト所有の貴族の館を紹介するテレビ番組を観ました。通常、こういう番組は建物、内部の調度品、庭などに焦点を当てたものが多いのですが、先日のものは住んだ人、建築家、ガーデンをデザインした人などその館に関わった人を詳しく伝えていました。それによって、館がよりいきいきと表されていて、とてもおもしろかったのです。

チャッツワース.ハウスのデヴォンシャー公爵に嫁いだダイアナ元皇太子妃の先祖ジョージアナ(
紅茶で有名になったグレイ伯爵の愛人で当時最大のスキャンダルを巻き起こし、Duchess-公爵夫人ーという映画にもなった)はあまりに有名ですが、その他の貴族の中にも興味深い人物が大勢います。館を訪れる時は、そこに住んだ人、縁の人のことを知った上で見学すればもっと興味が湧いてくるはずです。

そこで、先日ウェールズで訪れたポーウィス城に住んだ人に関して調べてみたところ、色々な事実が沢山わかってきました。






現在のお城で一番古い部分は1200年頃に建てられた北東の塔のあたりです。その頃の持ち主は、現在のモンゴメリーシャーやデンビシャーを含むポーウィス王国のプリンスでした。その後、彼の子孫が1代目ペンブルック伯爵の二男の息子エドワード.ハーバートに荘園と共にお城を売り渡しました。それ以来、1952年にナショナルトラストに贈与するまでの400年以上の間、ハーバート一族がポーウィス城を所有することになります。

今日は19世紀後半からのお城に関わったひとたちのことを簡単にお話ししましょう。



お城への入り口。
 

ポーウィス城の庭の始まりは1680年代です。一代目ポーウィス侯爵(侯爵のタイトルは1748年に後継ぎが途絶えたことで消滅。その後1代目ポーウィス侯爵の二男の一人娘が15歳の時に嫁いだエドワード.ハーバートにポーウィス伯爵のタイトルが授けられる)ウィリアム.ハーバートは当時有名な造園師であったウィリアム.ウィンドを雇い、お城の南に面した芝生のスロープやテラスを造ります。

(イギリスの王家や貴族の家系はまるで旧約聖書を読んでいるようにややこしく、頭が混乱してしまいますが、ボケ防止にもなると思いますので、しばらくお付き合いください。ただ親族同士の結婚が多く、貴族同士がどこかでつながっていることが多いので、そのつながりを見つけた時に全てがはっきり見えて来ることが多いのです。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
時を経て19世紀後半、4代目ポーウィス伯爵であったジョージ.ハーバートの妻ヴァイオレット(ダースィー.ドゥ.ネイス男爵の後継者)は「イングランドとウェールズの中で最も美しいガーデン」と言われる庭を作りました。

16、17世紀に人気を博したイタリアン.ガーデンのフォーマルなデザインも18世紀に入るころから自然を重要視する風景ガーデンに変わります。ヴァイオレットは、イタリアガーデンと風景ガーデンをうまい具合に共存させて、色々なスタイルが楽しめるガーデンに仕上げました。

さて、この4代目伯爵夫妻には男子ふたりと女子ひとりの子どもがいましたが、長男でポーウィス伯爵のタイトルの後継者でもあったクライヴ子爵は第一次世界大戦で亡くなります。その後1929年に伯爵夫人ヴァイオレットが自動車事故で亡くなり、残った次男マーヴィン.ハーバートも(兄の死後、クライヴ子爵のタイトルを受け継ぐ)第二次世界大戦で戦死します。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2人の後継ぎと妻に先立たれた4代目伯爵は1952年に90歳で亡くなりますが、遺言でポーウィス城はナショナルトラストに贈与され、現在でもナショナルトラストが管理しています。 
 
ポーウィス伯爵の称号は彼のいとこであるE.R.H.ハーバートに受け継がれます。
 
ここで、ポーウィス城から少し離れ、4代目伯爵の二男の話に移ります。先ほどお話ししましたように、マーヴィン.ハーバートは戦時中は空軍に属していて、1943年に38歳の若さで戦死します。彼の一人娘のダヴィーナは、祖母から父に渡った男爵の称号を4歳で受け継ぎ18代目ダースィー.ドゥ.ネイス男爵となります。
(実際は女性ですのでBaronではなく、Baroness Darcy de Knaythというタイトル。)
 
ダヴィーナは1960年、出版業者であったルーパート.イングラムズと結婚、3人の子に恵まれましたが、4年後に夫妻でダンスの帰り道に車が木に激突し、夫は即死、ダヴィーナも首から下が動かなくなるという重傷を負います。その彼女が治療を受けていた病院が、パラリンピックの基を築いたストーク.マンデヴィル病院でした。次第に上半身の動きが少しずつ回復しますが、生涯車いすの生活が続きます。
 
強い意志を持ったダヴィーナは卓球と弓道に打ち込み、ついにはパラリンピックに出場。1968年のイスラエル.パラリンピックでは水泳で金メダルを、4年後の西ドイツ.パラリンピックでは卓球で銅メダルを獲得します。
 
それ以後も2008年に亡くなるまで、ダヴィーナは貴族院議員として身体障害者の権利などを主張し、大英帝国勲章(DBE      Dame Commander of the Most Excellent Order of the British Empire)を授かります。
 
 
 
 
 
人は貴族でなくてもそれぞれの人生のストーリがあります。でもそれがずっと記録に残るのはごく少数のひとたちです。館だけではなく、普通の家にもそこに住んだ人の話があってこそ建物が生きてきます。
 
4,5年前に車椅子のお客様とここを訪れました。その庭を車椅子を押しながら歩いた時、もしダヴィーナのことを知っていたら.....と思いながらポーウィス城縁の人たちのリサーチはこの辺で一旦休憩です。