5/03/2016

エリザベス女王90歳のお誕生日おめでとうございます。

気が付いたら5月になっていました。4月21日はエリザベス女王が90歳のお誕生日を迎えられ、その話題で持ちきりでしたが私の4月はどういうわけか知らないうちに終わってしまったようです。

エリザベス女王は昔からご家族のビデオを頻繁にご自分で撮っていらっしゃって(その頃は8ミリと言ったんでしたっけ?)、その多くが先日テレビの王室ドキュメンタリー番組で紹介されていました。今まで公開されていなかったその映像をチャールズ皇太子が女王と一緒にご覧になっているシーンは、ごく普通の母と息子で微笑ましかったです。「あの乳母車、懐かしいなー。今どこにある?」とか、「あの人は誰だっけ?」といった具合に。私が録音しておいたその番組を観たのは実は昨日のことでした。

さて、その番組を観ながらますますエリザベス女王に対する尊敬の念が高まりました。90歳と言えば通常ですととっくに引退して、孫やひ孫に囲まれて穏やかな暮らしをしている年です。2015年に
は94回の公式業務を熟されたとか!因みにウィリアムは32回で、「もっと仕事をしなさい」という批判の声も聴かれます。本当に女王様には勲章(!)を贈りたいくらいです。

エリザベス女王2世は1926年に生まれましたが、その時は将来女王になることはほとんどの人は想像していなかったはず。それがエドワード8世の結婚に関わる突然の退位で弟君のジョージ6世(女王の父君)が仕方なしに即位し(この時代のことは映画‘King's Speech'でおなじみ)、ジョージ6世亡きあと1952年に長女のエリザベスが25歳の若さで女王になりました。当時の法律ではまずは男子に継承権があったのですが、ジョージ6世のお子さんはエリザベスとマーガレットのお二人の娘さんだけだったために長女のエリザベスが王位を継ぎました。

ダイアナ元皇太子妃が亡くなった時は女王の支持率は最低でしたが、現在は76%という調査結果が出ています。

 
4月16日のSunday Telegraphの別冊誌の表紙です。
 
 
  
 
日本からいらっしゃる方はイギリスの王室に興味を持っている方も多く、バスや車の中でよくお話しするのですが、今日はこの雑誌の中からいくつか写真をご紹介しながら皆さんと王室について語り合いたいと思います。
 
 
1926年4月21日、時の王ジョージ5世の二男であったヨーク公爵と、スコットランドの14代目ストラスモア.キングホーン伯爵の末娘でヨーク公爵に嫁いだエリザベスの長女(今の女王は母君の名を受け継いだ)としてロンドンのブルートン通り17番地で誕生されました。この家はすでに取り壊されて今はありません。ヨーク公爵とはイギリス君主の二男に与えられるタイトルで現在のヨーク公爵は女王の二男であるアンドリュー王子です。
 
 
 
 
 
1937年5月に行われたジョージ6世の戴冠式後、バッキンガム宮殿のバルコニーに現れたロイヤルファミリー。戴冠式は国としての最大行事です。プリンセス.エリザベスの手の振り方をご覧ください。すでに女王になるべく振る舞いを躾けられていたことがわかります。今までのロイヤルファミリーは手のひらを見せて挨拶することはありませんでした。実際手の振り方ひとつにさえ、何故そういう振り方をするのか理由があります。キャサリン妃が普通の手の振り方をしているのを見ると、王室も時代に合わせて変化していることを感じます。
 
 
 
 
 
1945年イギリス陸軍の少尉として軍用車輌の整備を行うプリンセス時代の女王。この時に車の運転を習われたと聞いていますが、実際パスポートと同じく女王は運転免許証というものを持っていません。公式の車にもナンバープレートがついていません。証明する必要が何もないことを表しています。
 
 
 
 
 
ジョージ6世、プリンセス.エリザベス、プリンセス.マーガレット、エリザベス女王(現エリザベス女王の母君)。ロイヤルファミリーがプライベートで過ごす時は必ず犬がいます。
 
 
 
 
1953年の戴冠式。ここで使われた宝物は、1661年からロンドン塔に保管されているクラウンジュエル(君主が特別な行事に使う宝物)ですが、笏の先についているのがつい数年前まで世界で一番大きいカットダイヤとされていたカリナンダイヤモンド1(530カラットで原石は3106カラット。又の名を‘アフリカの星’)です。因みに現在世界1大きなカットダイヤはゴールデン.ジュビリー.ダイヤモンドで(546カラットで原石は755カラット)、タイの王様即位50周年のお祝いに贈られました。クラウンジュエルに使われている宝石は23000以上あると言われています。
 
カリナンダイヤモンド1は、南アフリカで1905年に発見されたもので、1907年に時の王エドワード7世の66歳の誕生祝に贈られました。さて、南アフリカからこのダイヤをどうやって運ぶかが問題になりました。その結果、まず偽物を作って大袈裟に護衛艦でイギリスに運ばれているうちに本物はなんと普通の郵便で送られたそうです。さすがイギリス。随分思い切ったことをしました。ジェイムズ.ボンドの国ですねー。やることが違う!
 
 
 
 
 
ポロ競技場での女王とエジンバラ公。チャールズとアン(長女)。今年95歳になられるエジンバラ公(フィリップ殿下)は、イギリスの歴代ロイヤルファミリーの男子では最年長者です。あまりにストレートに意見を言うのが特徴で、時々問題を興していますが、いつも女王を支える影の人物です。
 
 
 
 
 
 
エジンバラ公爵は(またはフィリップ殿下)ヴィクトリア女王を先祖に持ち、ギリシャの王子として生まれましたが生後一か月の時にギリシャでクーデターが起こり、伯父であったギリシャ王は退位、弟だったフィリップの父は死刑を宣告されます。そのため一家はヨーロッパの国を転々としましたが、イギリスの海兵学校に入学したフィリップは、後にイギリスの海軍に入隊します。両親の不仲も公然の事実で彼の幼少、青年時代は決して幸せとは言えなかったようです。
 
プリンセス.エリザベスが13歳で再開した時にフィリップに恋をし、ふたりは結婚を約束しますが姉4名が全てドイツ人と結婚し、ナチスに関係していたことも含めて周囲は反対します。終戦後間もない時のことでしたから。その後のことは歴史で語られる通りで、女王は21歳で結婚しました。結婚式には姉たちは招待されず、母親のみが出席しています。
 
女王ご家族の微笑ましい写真は多く残っていますが、下の写真もその一枚です。初孫(アン王女の長男)のピーター.フィリップと共にバルモラル城で撮影されたものです。今までは第一王位継承権は君主の長男でしたが2011年から男女に関係なく最初の子供が継承者になることが決まりました。その際、もうひとつ大きく変わったことは、王位継承権を持つ人物はローマンカソリックと結婚できないという1701年からの法律が無効となったことです。ただし、君主はイングランド教会の最高ポジションにいるために、ローマンカソリックは君主になることが禁止されていることはそのままです。
 
 
 
 
1970年の公式女王誕生日の儀式であるトゥルーピング.ザ.カラー(軍旗敬礼分列式)であまりの暑さで気絶した近衛兵。「女王が通りすぎるまで」と我慢していたのでしょうね。よりによって女王が通るその瞬間に気絶してしまったとは、お気の毒です。しばらくしてから救助隊が来ましたが、その時まで他の近衛兵は知らん顔。その時は「随分薄情!」と思いましたが、彼らの仕事は女王を守ること。それにしてもふんにゃり倒れるのではなくバッターン!と倒れていていたのが印象的でした。この儀式では、ご高齢のために馬車を使われることになる以前は最も難しいと言われる横乗りで会場に向かわれていました。
 
 
 
 
ウィリアム王子誕生。4代にわたる王室ご家族。
 
 
 
 
ダイアナ妃と離婚したちゃールズ皇太子は2008年カミラ.パーカー.ボウルと結婚。日本ではカミラさんに関しての報道は否定的なことばかりのようで、日本での彼女の人気は今でも最低とも言えるほどですが、イギリスでは人気があります。暖かいお人柄はたまに報道される日本では皆さんも気が付かないかもしれませんね。少なくともイギリスで報道されている普通の内容を日本でも使ってもらいたいものです。
 
私は実際にお会いしたことはありませんが、お会いしたという方からお話を聞いたりする限りでは、チャールズ皇太子が国民から慕われる王になるために大切な方と思います。その結果これからのイギリス王室の存在がどうなるかにまで影響が出てくる気がします。
 
 
 
 
 
2012年に即位60周年を迎えられた時のパレード。
 
 
 
 
 
2012年ロンドン.オリンピック開会式ではジェームズ.ボンドと共演。バッキンガム宮殿にボンドが女王をお迎えに行き、その後ヘリコプターで会場に向かいます。そして会場の上に来た時に、女王がヘリコプターから飛び降りたのです!そしてしばらくしてから女王が同じ洋服で会場にお出ましになりました。会場にいた人も、テレビを観ていた人も大喝采です。これで女王の人気が益々あがったのでは?ユーモアのセンスは英国人にとっては、最も大切な国民性のひとつです。
 
伝統にしがみついてばかりいては国民の王室離れは進むばかりです。そこのところを一番ご存じなのは女王ご自身かもしれません。
 
 
 
 
 
2015年5月シャーロット王女の洗礼式の日。
 
 
 
 
 
 あれはたしか、彼女が21歳を迎えられた時のスピーチだったと思います。
「国民に私の人生を捧げます。しかし、それは一人ではできません。あなたたちのサポートがあってこそ可能な事です。」
 
プリンセス.エリザベスからエリザベス女王になられた彼女の人生は正に国民に捧げた人生だったような気がします。