最近、モリスに関してのブログを書く機会が多く、‘10人の人がすることを一人の生涯でやり通した人’ということを書きました。
今日は、身近な人のことを書きたいと思います。
先日、大切な友人Dのメモリアル.サービスに行ってきました。彼は始めは主人の友人だった人です。突然ジブラルタで(イギリス海外領土のひとつでイベリア半島の先にある)亡くなりました。そういうわけで、教会には棺の代わりに遺灰が置かれ、キリスト教のメモリアル.サービス(お葬式)が行われたわけです。
最初に流れた曲は戴冠式に使われるヘンデル作の ‘司祭師ゼイドック’ でした。何故この曲が?と始めは皆不思議に思っていましたが、しばらくして「ああ~」と納得したようです。実はこの友人は1953年の現エリザベス女王の戴冠式の際に聖歌隊のひとりとして、この歌を歌いました。その日流れた曲は、単に普通のCDではなく、戴冠式の際に録画されたCDだったのです。つまり、この中に少年時代のDの声が入っているのです。
もう20年位お付き合いしているDが女王の戴冠式に歌ったことを知ったのは、彼がある時突然テレビに出た時でした。それは女王戴冠60周年に関したテレビのインタビュー番組でした。突然画面に映ったDにびっくり。そんなことは一度も彼から聞いたことはありませんでしたから。
そして今回のメモリアル.サービスでの家族や友人たちのスピーチで、Dは70数年の人生の中で、それはそれは多くの事をやってきたことを知りました。お子さんのスピーチでは「小さい頃、父の職業を聞かれた時は本当に困りました。なにせ、色々なことをやっていましたから。音楽家であり、作曲家であり、歌手のエージェント、マネージャー、企業家、作家、パブのオーナー....そうそう、ボートを造っていたこともあります。」と。知らなかったことばかりです。この日、教会の中でDが生涯に成し遂げた全てを知っている人は皆無だったかもしれません。
3人の子供のうちふたりを幼い時に亡くしたことも、知りませんでした。だから子供の病院のチャリティ活動も一生懸命だったのだなーと今になってわかりました。
また友人代表のスピーチで、アースナルのプロのサッカー選手もしていたそうで膝の大怪我をしていなければ有名フットボーラーになっただろうということも初めて知りました。
親しくしていて、大好きだった友人の事は結局知らないことばかりでした。でも、知らないことがいっぱいあってもDは「友人と言えることが誇り」と思う人でした。
そんなDのメモリアル.サービスは涙と笑いの繰り返し。「こんなことがあった。」と言えば、「そうそう、Dのしそうなこと」とほほ笑みながらうなずく人、「本当だと億万長者になっているところだが、あまりに人に対して寛大なDだったから」と言えばDの性格を思い出しては胸に熱いものがこみあげてすすり泣きが聞こえます。本当に、本当に優しい人だったのです。ネガティヴという言葉は彼には通用しない、存在しない人でした。
サービスが終わってからも教会の前でいつまでも立ち話をしているひとが沢山いました。生きている時にもDと別れたくなくておしゃべりをし続けた友人たちです。
ギルフォード近くの小さな町のこの教会、とてつもなく大きな木が、まるでとてつもなく大きなハートを持ったDのようでした。
教会でのサービスの後は車で10分くらいのところにあるポロクラブでお別れ会がありましたが、Dに育てられた歌手が何人も訪れ、舞台で音楽、スピーチが行われました。通常ではお葬式には全くそぐわないと思われる曲もありました。でもその歌手、曲がDとってどれだけ意味のあるものか、舞台の横に置かれたDの写真を見ながら一緒に、楽しんでいること確信しました。
帰宅の途中、素晴らしい虹が見えました。完全に半円をした虹です。まるで彼の口癖、You wouldn't beleive this.(信じられないことをおしえよう)という言葉の代わりにかかった虹のように思えてなりませんでした。カラフルな人生を送ったDに相応しい最後の小道具になりました。どんなことがあってもいつも前向きで、そして楽天的で、寛大で....これからは実際に会うことはできなくなりましが、Dの思い出はこれからの私たちにとって大きな力になってくれることは間違いありません。
*御嶽山の噴火のことがこちらでもニュースになっています。多くの犠牲者をだし、行方不明の方もまだ多くいらっしゃるということですが、一日も早く救助活動が完了するようお祈りします。犠牲になられた方のご冥福を心からお祈りします。