4/07/2016

余計なお世話

昨日、ラジオでこんなことを言っていました。「冷蔵庫が賞味期限が切れそうな食べ物を音で教えてくれる」と言うのです。私もたまに冷蔵庫のものを腐らせてしまうことがあるものですから、これは便利!とちょっと興味が湧きました。「冷蔵庫が臭いを感知するなんてすごい!今は何でもコンユーターの時代ですから、食べ物が悪くなっているのもコンピューターが知らせてくれる!」と思いきや....実はそうではなく、パッケージの賞味期限が切れそうになることをバーコードをもとに冷蔵庫がおしえてくれるというのです。これって、全然何もならないですよね。そんなの見ればすぐにわかります。はっきり言って余計なお世話。




大英博物館に行ってパルテノン神殿の彫刻や、世界の七不思議のひとつに数えられているモーソラスの霊廟を見ていつも思うことは、「電気も機械もクレーンも何もなかった時代に,これだけの物を造る人間はすごい」ということ。でもそれは昔のこと。

今の人に機械を使わずにそれをやってみなさいと言えばみんなすごく苦労すると思います。できないかもしれません。そんなことを考えていて気が付くことは人間の知恵も体力もみんな退化してるのでは?ということ。確かに寿命は長くなって、しかも姿もどんどん若くなっていっています。でもコンピューターが壊れれば何もできない時代になりました。ホテルを予約しようと電話したら「今、コンピューターが壊れているので、直ったらこちらから電話します。」と言われたことがありますし、日本の友人に何度メールを送っても返事がないので心配していたら「パソコンが壊れて修理に出していた」ということでした。

先日、ある歴史家がインタビューで言っていたのは、「母が亡くなって何年にもなるのですが、父のところに行く度に、母が生前買って何年も前にとっくに賞味期限が過ぎた缶詰を‘母の思い出に’と、いまだに食事の時に出してくれるのです。父は缶詰は永久に食べられると思っているのです。」

イギリスでは賞味期限のことをSell by ...とかUse by....とかいう言葉でパッケージに表示しています。それはお店で販売するための賞味期限のこと。でも買ったらこっちのものです。いつ食べるかは私たちが決めることです。日本語の「賞味」とは「おいしく食べること」と辞書にあります。

ほんのちょっとおいしくなくなってしまっても食べられます。私はそれを捨てるのは罪だと思っているので、賞味期限が切れた食べ物はそれなりに料理の仕方を変えたりしています。人間はある程度信用できる嗅覚を持って生まれてきていますから、悪くなった食べ物は臭いでわかります。臭くなってしまったら捨てるしかないのですが、そこまでいくのに食べてしまうことも人間が自然から授かった智恵の一つと思います。たまに賞味期限が過ぎたほうがおいしかった果物もあります。








数年前に車を買いました。ひとつのことを除いてはとても気に入っています。そのひとつとは、何でも車が自動でしてくれること。赤信号で止まれば、環境を考えてエンジンがひとりで止まります。これは気に入っています。ところが、暗くなれば自動でライトがついたり、雨がポツっと降れば自動でワイパーが動き出します。そんなこと、私がするから放っておいて!と言いたいくらい。

先日、妹が来た時にレンタカーを借りました。そのレンタカーは基本的な車でけっこう手動が多い車だったのですが、雨が降ってきてもワイパーが動かない!私は自分でワイパーを動かすことがなかったので、レンタカーのお店のお兄さんにワイパーの操作の仕方をきくのを忘れました。

ついに私は身の危険を感じ(?)、自分の車の中のものをできるだけ自動ではなく、手動に変えました。機械に疎い私には、けっこうこれが大変なことでしたが。

天気にしても昔は雲の動きや風の状態で自分で判断していたと言われます。太陽や月で、東西南北や時間を知ったようです。そんな人間の持つ本能がだんだん消えてしまって(私は完全に失った人間として生まれてきました)、生きるのに別に必要のないものを作り出すのに頭を絞る、もっとエスカレートしてしまいには原発など地球に害になる可能性のあるものを作り出す。何か変です。

こうも何でもかんでも自動で動くようになると、完全に人間は「気をつける」「準備する」ということをしなくなりますね。その結果、本能的なものはどんどん失われて必要のないものがどんどん増え続けるような気がします。皆さん、どう思われますか?