11/06/2015

長州ファイヴと薩摩ステューデント

9月に帰国した時に、弟が「これ、おもしろいから観てごらん。」と、NHK大河ドラマ「八重の桜」のDVDを全巻借りてきてくれました(50巻以上あったはずですがあっと言う間に見終えてしまいました)。それですっかりはまってしまったというわけです。幕末の日本の男たちの自己も顧みずひたむきに藩のため、国のために確信することに向かって生きる日本魂、そこに周りの愛する人への深い思いが加わって感動ものでした。ドラマですから実際とは違うところが沢山あると思います。そんなことはわかっているのですが、私の中では八重さんの、そして尚之助さまやジョーの存在がドラマを観ているうちにどんどん大きくなっていくのでした。また役者さんたちが適役で益々ドラマを盛り上げていました。

さて、先日は長州五傑(長州ファイヴ)、薩摩ステューデンツに興味のあるお客様をロンドン観光にご案内しました。長州は「八重の桜」の中では会津藩と戦っていますが、長州藩には長州藩の事情というものがあるし、会津藩だけの立場を考えることはできません。

「藩の近代化を進めるには西洋を見ること、学ぶことが大切である」という長州藩主の命令で、1863年当時日本人の海外渡航が禁じられていたにも関わらず密航、中国を経て6か月後にロンドンに到着したのは井上薫、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、野村弥吉の5名でした。(日本の近代化に貢献したという理由でイギリスでも注目を集め、‘長州ファイヴ’と名付けられました)

まずその日向かったのは、5人が学んだユニヴァースィティ.カレッジ.ロンドン(UCL)です。
 
 
 
 
 
当時、オックスフォード大学やケンブリッジ大学とは違って人種、宗教に関係なく入学できたユニヴァースィティ.カレッジ.ロンドン(現在はロンドン大学の一部)で彼らは後に薩摩からやってきた19名の‘薩摩ステューデント’と出会います。かつては、戦争を交えたことのある長州藩と薩摩藩ですが、実は薩長同盟が結ばれる前に、お互いに助け合って日本の近代化に尽くす非公式ではありますが、立派な同盟が遠いロンドンで結ばれていたことになります。


さて、この大学にある長州ファイヴと薩摩ステューデントの記念碑は以前も訪れたことはありますが、こんなに目立たないところにあったなんて。もしかしたら隣にできた建物のせいかもしれませんが。


 


表には英語で、裏には日本語で留学生の名前が刻まれています。
 
 
 
 
 
 
 
「八重の桜」に出ていた新島譲もやはり近代日本の教育に尽力した人物ですが、密航の際には函館からアメリカの船に乗っています。今回函館でその記念碑のある場所に行きました。(「八重の桜」の新島譲のイメージとはかなり違っていましたが譲の銅像がありました。
 
 
 
 
 
 
 
1864年、海外渡航禁止令が出ている中、「世界を周って見分を広めたい」という気持ちひとつで譲が密航したのは、函館のこの地からでした。帰国してからは日本教育の近代化に努め、現在の同志社大学の基を築きました。
 
 
長州ファイヴ、薩摩ステューデント、新島譲の時代から150年しか経っていないのに世の中は随分変わりました。あのまま鎖国を続けていたら、今日本という、国はあったでしょうか?と思います。掟を破ってまでも国の将来のことを考えた彼らがいたからこそ今の日本があることを忘れてはいけないとつくづく思いました。