4/28/2018

コッツウォルズに行く途中で。

60歳半ばに40年近く住み慣れたロンドンを離れるということがどういうことであるか?引っ越す前、そして引っ越して1年になろうとしている今も時々考えます。引っ越した直後に感じること、生活しているうちに徐々に感じることと両方あります。引っ越した一番の理由は、何十年も願っていた「ロンドン以外のイギリスに住んでみたい。特に田舎に住んでみたい。」という気持ちが強く、これ以上行動を興さなければついに一生叶わないと思ったことです。

日本に行けばよく「年をとれば都会が便利」と言われます。でも私の場合、都会での時の流れがあまりに速く感じるようになり、足を止めて人生を楽しむことが困難になってきました。とはいっても大好きなロンドンです。便利さで言えば、地下鉄にピョン!と乗ればどこへでも行けます。友人たちに「今日、会わない?」と簡単に電話できました。

それがウィンズロウに来てからはできなくなりました。友人に会うのも、ロンドンに出るのも前もって計画を立てなければなりません。列車で行くときは予め切符を買わないと当日券はものすごく高くなります。町に3軒あるコンビニで買い物する際は、必ずひとつやふたつは品切れのものがあります。

それでも住んでいるうちに、その不便さがあまり気にならないようになりました。お店で手に入らないからといって食事が作れないわけではありません。返って代用品を考えたり、頭を使います。そうやって私の人生は徐々に田舎暮らしに慣れてきています。

昨日のブログに書いたDの家まで車で1時間半かかりました。ところが道中の景色の素晴らしさを楽しみながらあっという間にDの家に着きました。なんと1時間半の間に高速道路を使うこともなく、ビルの間を抜けることもありませんでした。通る道の両側には森、牧草地、畑が広がります。たまに通過する村や町は全てコッツウォルド石の古い建物ばかりです。



















時々車を停めては写真を撮ったり、ブラブラ歩いたりしてDの家の到着は15分くらい遅れてしまいました。

昔、ロンドンからDの家に行くには高速道路M40号線を使っていました。この高速道路は例えばM1号線などと違って大きな町や、工場が集まった地域を走ることはないのでが、それでもドライブの楽しみ度が違います。昨日通った道は幹線道路であるA道路、またはもっと狭いB道路、または名前さえない道ばかりです。渋滞もありません。

不便さで言えばもうひとつありました。小さな村にはパブリックトイレのあるところが少なく、昨日は朝早かったためにパブやティーショップも開いていません。仕方ないので、道を歩いている人に聞いてみました。「残念ながらこの町にはパブリックトイレはないんですよ。でも私はこれからドクターの診療所へ行きます。あそこにはトイレがありますから一緒に来なさい。」とわざわざ私を診療所まで連れて行ってくれました。そこには清潔な広いトイレがありました!

少しくらい不便であっても、その\不便さに慣れると人間はけっこう自由に生きて行けるなーとつくづく思いました。ダーウィンの言葉にありますよね、(彼が本当にそう言ったのかどうかは証拠はありませんが)、「生き残る動物は頭が良い動物でもなければ強い肉体を持つ動物でもない。残るのは順応性のある動物だ。」って。

私に関して言えば、長い人生の中で全く違う環境に身を置くことがいかにリフレッシュになるかを発見しました。もっと早く引っ越して色々な場所に住みたかったなーと今になって思います。違った環境に身を置くことは何も引っ越しに限りません。仕事や職場を変えたり、新しい趣味をもったり、その道は色々あります。ウィンズロウはとっても気に入っていますが、最近あと1,2回は引っ越して他の町に住むのもいいなーと思うようになってきました。1年前の引っ越しでは所持品の半分を処分しました。今度引っ越す際はそのまた半分を処分して・・・・・