17世紀にできた天文台。赤いボールが落ちるのが午後1時です。以前はこれが時報として使われていました。
観光はそこに住む人に案内してもらうのが一番。今回の案内役のM.
Mの後ろにあるイルカの彫刻。実は日時計になっているのです。2匹のイルカのしっぽの一番小さな隙間から入り込む日光で時間がわかります。
小さな隙間(グレイの色がいるか2匹の尻尾を表しています)を通して映る光がどこに当たるかで時間がわかります。
さてこの日、グリニッジの本初子午線が実は100メートルずれていることをMが説明してくれました。それまでは、そういう話は聞いたことはありますが別に真剣にも考えず、観光では天文台の敷地内に設定されたラインにまたがって、お客様に「東半球、西半球」同時に立ちながら写真を撮っていただいていました。そして今でもそれは変わりません。どのガイドも同じことをしています。そして世界中から訪れる人は、本当に西半球と東半球と同時に存在する自分の写真を撮っています。
子午線のことを少しお話ししましょう。18世紀までは経度を測る方法がなかったのです。これは大変困ったことで、航海中の船が居場所がわからずに難破したり、遭難するケースが頻繁に起こっていました。航海の途中で居場所を知るには月の位置と時間が必要です。でも波に揺られながらでは、それまで使っていた振り子の時計は役に立ちません。そこで王と政府は海の上でも時間を測定できる時計を発明した人に膨大な賞金を与えると約束して一般人に呼びかけました。それに成功したのがジョン・ハリソンで彼はクロノメーター という航海懐中時計を発明しました。
これにより海上事故の数もぐんと減りました。それまでの海路はとにかく真っすぐに進むことだけだったのですから、ちょっと間違えばとんでもない方向を目指すことになります。
そして1884年のワシントンD.Cで行われた国際子午線会議において、グリニッジの子午線を世界の公式本初子午線、つまり子午線0度にすることが決まったのです。そしてここから15度離れるごとに1時間ずつ時差をつけたのです。でもそれはあくまでも人間が作ったラインであって自然に作られたものではないわけですから、技術の発展に伴い、地球が少し屈曲していること、重力による差など知識も技術も発達した現在、何百年前にイギリスで決められた子午線(0度0分0秒)は天文台の敷地にあるラインから100メートルくらいずれていることがわかりました。ほんの数年前のことです。
公園を歩いているときに、Mが「本初子午線が通っているのはこの辺り」と教えてくれたのがここです。
この日から1週間くらい経った日、Mは奥様と日本に経ちました。奥様が画家で、絵を描くために日本のあちこちを6週間周るとのこと。あまり観光化していない、そして少し寂れたような場所に興味を持つ奥様Eは今頃、折り畳みの椅子に座りながら、北の方で桜と古くて小さなお寺を描いているかもしれません。