邸宅は昔から現在まで同じ家族が所有している場合もありますが、そういう場合はほとんど貴族邸宅で(モールバラー公爵のブレナム宮殿、デヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウス、ベッドフォード公爵のウォーバン・アビーなどは有名)現在一般公開されているものが多いのですが、ウィンポール・ホールを含む多くのナショナル・トラスト所有の大邸宅はその長い歴史の中で何回かオーナーが変わっている場合が多いのです。貴族と言っても全てがお金があるとは限りません。長い歴史の中では破産して館を手放さなければならなかった貴族や、後継ぎがいないという理由でナショナルトラストなどの保存財団の手に渡った物件もあったようです。また相続税がとてつもなく高いために相続した人が手放す場合もあります。
ウィンポール・ホールのある土地は12世紀からの記録がありますが、現在の建物の基礎を築いたのはチチェリー家で1640年のことです。結婚によって更に不動産を広げたチチェリー家ですが、45年後には財産がなくなって邸宅を手放し、その後は公爵、伯爵を含む貴族の手に渡りましたが歴史的建物はもちろん ですが、私にとってはそこに住んだ人たちも同じくらい興味深く、ウィンポール・ホールに関しても例外ではありません。
ハウスガイドの説明や、本に書かれていることを読めばおもしろい、おもしろい。こんなにとてつもなく大きな邸宅に住んで贅沢していてもやはり人は人。幸せな人生はお金では買えません。お金はやっぱりいつかは消えていくものです。
厩だった建物。今ではショップやレストランになっています。
ここに住んだ人も色々な人がいました。
市民革命の際に敵に囲まれたにもかかわらず降伏することを拒んだ王党派支持の身重のレディ・サヴィルは、出産間際に召使に説得されて敵の前に現れたそうですが、敵はすっかり感心してすぐに自由の身にすることを約束します。自由になったレディ・サヴィルは、それでも王党を支持し、スパイとして活躍します。あっぱれです。
結婚によってウィンポール・ホールを手に入れた オックスフォード伯爵は即、ウィンポール・ホールの改築にあたります。(ロンドンのオックスフォード・ストリートはこの一族が持っていた土地)本の収集に取りつかれた伯爵ですが、晩年に所有していたのは5万冊の本、4万冊以上のプリント、そして35万以上の小冊子、そして膨大な借金でした。彼のコレクションは1753年に国家に売却され、これが大英図書館の基礎となりました。
次の所有者となったのはハードウィック伯爵一族です。買ったのは大蔵大臣をしていた初代伯爵です。更にウィンポール・ホールの改築を行いました。3代目伯爵はイングランド銀行の建物をデザインしたジョン・ソーンと(ロンドンのジョン・ソーン博物館を創設)気が合い、館の内部を大胆に変えていきます。4代目伯爵も同じようにウィンポール・ホールを更に豪華にしていきます。ヴィクトリア女王が遊びにきたのもこの時代です。
ところが、5代目になってハードウィック伯爵家はつまずいてしまいます。ヴィクトリア女王の長男(後のエドワード7世)と親しくしていて贅沢三昧の暮らしをしていました。ニックネームは「シャンぺーン・チャーリー」。きっと小さい時からお金は空気みたいなもので、使っても減るものではないと教えられていたのでしょうね。先代の残した財産を相続後わずか15年ですっかりギャンブルで使い果たし、借金は30万ポンド(今のお金にしたらどのくらい?)。ウィンポール・ホールはまたしても売却されることに。因みに5代目伯爵が破産した途端に皇太子を初め、一緒に遊びこけていた上流階級の人たちはきっぱり5代目伯爵を捨て(そう、捨てたという言葉がぴったりです。)、ウィンポール・ホールを去って5年後に5代目ハードウィック伯爵はこの世を去ります。
最後の所有者はイギリスの作家ルドヤード・キップリンの(ノーベル文学賞受賞者。「ジャングル・ブック」などの作品を残す)娘エルスィー・バンブリッジとその夫です。彼女はキップリンのただ一人の生き残った子供でしたから、キップリンの多額の遺産や本からのロイヤリティをウィンポール・ホールの修理改善に使いました。そしてウィンポール・ホールは1976年にエルスィによってナショナル・トラストに委ねられました。
館内を見学すれば、「おや?」と思うかもしれません。家具の年代がどうも合わないのです。これは最後の住人であったエルスィーが使っていた家具をそのまま残しているからで、それは1920~1970のものです。
最後の住人であったエルスィー・バンブリッジ夫人は早くに夫を亡くし、この広い館で何人かのスタッフと暮らしていたそうです。この部屋はモーニング・ルームと呼ばれる部屋で通常は朝食を食べる部屋ですが、エルスィーはほとんどの食事をこの部屋でひとりでとっていたそうです。なんだか淋しいですね。
肖像画があるおかげで、昔の住人のことがもっと身近に感じられます。その人たちが残した足跡がひとつひとつウィンポール・ホールを形成していったことが深く感じられました。
* 前回のブログでお知らせした「初秋のイングリッシュ・ガーデンとイングリッシュ・ローズの旅」のサイトを(culturetourismuk.com)RSVP社の新宅氏が修正してくださいました! ありがとうございました。