2/05/2015

ウィリアム王子訪日に向けて ~ ケンジントン宮殿について

今月末にウィリアム王子(ケンブリッジ公爵)が訪日されるということで、最近 ‘ロイヤル’に関する仕事を何回かさせていただきました。その中でウィリアム王子(ケンブリッジ公爵)とキャサリン妃(ケンブリッジ公爵夫人)が公式の住まいとされているケンジントン宮殿へのご案内も含まれていました。




まず、ロイヤルファミリーの住居は一般に‘ロイヤル.レジデンス’と呼ばれています。その中でも‘ロイヤル.パレス’と呼ばれるものは英国君主の名においてトラストになっています。例えばバッキンガム宮殿やウィンザー城、ホーリールード宮殿(スコットランド)です。その他サンドリンガム宮殿や、バルモラル城(スコットランド)などは時代の君主に代々受け継がれ、王室がプライベートで所有しています。この他に、実際に使っていないロンドン塔やハンプトンコート宮殿といったようなロイヤル.パレスもあります。

ウィリアムとキャサリンの場合(日本ではロイヤルファミリーを呼び捨てにすることはないかもしれませんが、英国ではごく普通)、公式のお住まいはロンドンのケンジントン宮殿で、この他にプライベートの住居としてノーフォークのアンマー.ホールがあります。

さて、ケンジントン宮殿と言えば女王の妹君マーガレット王女(1930~2002)やケント公爵ご夫妻などのアパートがあり、見学できる部分と完全にプライベートの部分がはっきり分かれています。なんと言っても一番有名な住民だったのはダイアナ元皇太子妃でしょう。チャールズと別居後は王子たちとこの宮殿に住んでいました。ですからウィリアムにとっては、少年時代を過ごした懐かしい宮殿でもあったわけです。

1997年ダイアナ元皇太子妃が突然の事故死を遂げた直後、宮殿に続くゴールデンゲート付近は献花で埋め尽くされ、ついには大通りに続く芝生が全て花束や蝋燭で覆われた光景を覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。





ノッティンガム.ハウスを買い取って宮殿にしたのは、名誉革命後にイギリスにやってきて王座についたジェームズ2世の娘メアリーと夫のウィリアムです。喘息気味のウィリアム(下の写真のゴールデンゲートの中の銅像)のために、ロンドン中心にあり空気の汚れたホワイトホール宮殿から郊外に(今こそケンジントン地域は中心ですが、その当時は建物も少ない田舎だった)移り住んでのは1689年のことでした。


 
 
またケンジントン宮殿はヴィクトリア女王に最も関係のある宮殿のひとつです。
 
1819年にこの宮殿で生まれたという事実は正確ではないかもしれません。でも幼少時代を過ごしたことは間違いありません。映画‘Young Victoria’の中でも表されているように厳しい決まりは(‘ケンジントン.システム’と呼ばれるこの決まりは、ヴィクトリアの母、そしてその恋人のジョン.コンロイ卿によって、女王になった際のヴィクトリアのポジションを自分たちに都合の良いように利用する目的のために作られた)、一時ともひとりでいることを禁じるなどヴィクトリアの自由、意志を完全に無視したものでした。
 
 
 
 
女王になったヴィクトリアがまず行なったことは母とコンロイ卿を追放することでした。あっぱれ、ヴィクトリア!
 
また、最愛の夫アルバートとの出会いの場もケンジントン宮殿でした。
 
 
 
 
 
ここでとてもかわいらしいサインに出会いました!トイレのサインです。こんなのを見たら、別に使うつもりはなくても引き込まれていきそう!
 
 
 




ウィリアム王子の訪日で、日本での英国への興味がもっともっと広がることを期待しています。


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後藤健二さんがテログループによって殺害されたニュースを聞き、いただまれない気持ちになりました。「本人に是非帰ってきてほしい、そして現地の実情を話してほしい」と期待していましたが、いまとなってはそれは不可能になりました。本心から平和を願う方だったと思います。日本の報道で彼が「何かあった時に神と共にいたい。」とクリスチャンになったことも知りました。

お母様のインタビューもまた心に沁みました。「本人の意思を忘れることなく生きる」ということ。そして「憎しみが連鎖しないように願う」という言葉。勇気を感じました。憎しみから生まれるものは何もありません。憎しみという感情で解決できることはありません。今のご本人は感情で占領されているはずなのに、このような言葉が出ることに人間を超えたものさえ感じます。

それに比べ、殺人直後の阿部首相のインタビューには落胆させられました。 

「絶対に許さない。」

世界中の人が注目している中、一国の首相としてもっと冷静に選んだ言葉を使ってほしかったと思います。せめてそれが無理であったら、他の同じような事件を経験した国の大統領なり、首相なりと同じように「残された家族のことを思う」とか、せいぜい感情としては「憤りを感じる」くらいにしておいてほしかったと思います。

「絶対に許せない」と言ったところで一体何になるのでしょう?