5/22/2015

日本に行く友人から。

ここ1,2年日本に行く、または行きたいというイギリス人が私の回りに急に増えたような気がします。先日、主人の友人Hから「妻と一緒に10月に日本にホリデーで出かけることになったので、日程表を作っているところだ。ランチがてら家に来て相談に乗ってくれないか?」と、連絡が入りました。奥様の仕事の関係で長いホリデーを取ることはできず、今回は最高2週間の滞在となるようですが、「忙しい旅行はしたくない」「でも伝統的な日本を多く経験したい」というのが希望です。

さあ、それから私は家族、知人にメールや電話で相談しました。何せ、国内旅行もあまりしていないまま日本を離れてしまった私です。「もっと色々行っておけばよかった。」といつも後悔しているほどなので、日本での観光のことなどアドバイスできる立場ではありません。

色々な人に話を聞いて、結局は「初めての日本行きならば。」という理由で京都、奈良、高山、日光を勧めました。本当は函館にも行って欲しかったのですが今回はちょっと無理そう。

今回、彼らが日本を選んだ大切な理由のひとつは奥様の曾曾曾祖父母が19世紀の後半に観光で日本を訪れたことです。曾曾曾お祖母さんは中国、日本、オーストラリアを旅行している間に日記をつけていて、帰国後に出版。そのオリジナルは大英図書館に保管されています。そのコピーを見せていただきました。






第11章
日本
10月3日 土曜日

朝食をとった直後に美しい島が見えてきた。案内人に頼んで島に近づいてみると段々畑が見えてきた。そして村の上には灯台が立っている。墓地とお寺も見えてきた。島はだんだん多くなってきて、私たちは島の間の小さな隙間を縫うように進んだ。Mojiに着いた時に錨を下した。石炭を調達するためだ。平底荷船がすぐにやってきて仕事が始まった。男も女も一緒に仕事をしていたが女のほうが多かった。彼らは小さなバスケットに石炭を入れて、次から次へと手渡していく.....
 
 
 





当時は東京はTokyoではなくTokio,京都はKyotoではなくKiotoと書いていたようです。
 
 





 
曾曾曾お祖母さんの写した写真も載っています。

 
 
 
 
 
 
この写真の下には LAKE CHINZNIGI, NIKKO と、書かれています。中禅寺湖は彼らには ‘チンズニギ’ と聞こえたのでしょう。
 
 
 
 
 
 
「同じ場所で写真を撮ることができたらその写真は家宝になるわっ!」と奥様。そうですね、周りの景色は、ちょっとは変わっているかもしれないけど先祖が立った同じ場所に立つなんて感慨無量でしょうねー。
 
紅葉にはちょっと早いかもしれませんが、きっと素晴らしい日本を堪能してくることでしょう。でも、心配なことがひとつあります。それは先日の帰国で「慣れない外国人は苦労するだろうな。」と思ったことが何回もあったこと。オリンピックが迫っているのに、外国人を受け入れる体制がまだまだできていないというのが正直な感想です。これからの準備に期待します。