今年はブルーバッジガイドになってからちょうど40年目になります。40年前に遡って「観光ガイド」としての職業自体を始めからから考えてみました。「光を観る」と書くこの仕事は私にとっては単に名所をご案内するだけではなく、イギリスの空気に触れてお客様の内にある 「光」 をじっくり観察してご自分を見つけていただくことが目的です。私自身、この国に住んでいて日本にいる時は気が付かなかった自分を見つける機会を多く持ちました。その経験から異文化の中に身を置くことは自分を見つける良いチャンスであることを知りました。
さて観光ガイドとは?ということに関して根本的に調べてみました。そうしたら実に興味深い人物に突き当たりました。名前は貝原益軒。江戸時代に生きた本草学者、儒学者です。実は彼が世界で初めて観光ガイドブックなるものを書いたようです。その名前は「ケイジョウショウラン」で、漢字でどう書くのかはわかりませんが英訳ではThe Excellent Views of Kyotoになっています。貝原益軒のことを調べていくと観光からどんどん離れて行きますが興味はどんどん募るばかり。
さて職業としての観光ガイドに戻ります。観光とはちょっとちがうかもしれませんが、イギリスでは18世紀に貴族の館でご主人が留守の時に、ハウスキーパーが一般人に館の中を案内するということがありました。ジェーン.オースティンの「高慢と偏見」の中でリズィーがダーシーの館をハウスキーパーに案内してもらっている時にダーシーがひょっこり帰ってきてばったり、という場面がありました。
チャッツワースハウスはデヴォンシャー公爵のお屋敷です。ここでは見学者には一か月に一回夕食まで出されたそうです。
下の絵はハーブ研究科ベネシアさんのご先祖の館ケドルストン.ホールのハウスキーパーであったガーネット夫人です。
大きな館で働くハウスキーパーは最も重要なポジションに就くスタッフの一人でした、「ダウントンアビー」をご覧になった方はミセス.ヒューズを思い出していただければ「なるほど」と思われるでしょう。ハウスキーパーは、台所の責任者であり、女性スタッフのまとめ役でもありました。
またハウスキーパーは独自の一連の部屋を持ち、そこでは紅茶などの高価な食べ物が保管されていましたので、ご主人一家にとってハウスキーパーがいかに信頼のおける人物であったかが証明されますね。今では金庫の鍵を預けるような存在ですから。
先ほどお話ししたように館を公開する際はガイド役を勤め、見学者はチップのようなものをハウスキーパーに渡しましたから、職業ガイドの走りと言ってもいいと思います。彼女は家具や絵画の知識も持ち、見学者からの質問に答えられるように館の歴史やご主人の家系のことも知っていなければいけませんでした。
この肖像画では彼女は見学者に会う時のために一番おしゃれな洋服を着て、ガイドブックを手に持っています。
因みに「ダウントンアビー」では一般公開し始めたのは20世紀に入ってからで比較的遅く、しかも案内人は令嬢のひとりイディス嬢だったと記憶しています。
今でこそ、ナショナルトラストなどの保存財団や貴族自身が一般に公開する館は数え切れないほどあり簡単に見学できますが、18世紀は一般人にとって大邸宅を見学することなど夢のまた夢だったのでしょう。国内の芸術品にさえお目にかかる機会のない時代、外国からやってきたものなどは今でいう宇宙から運んできた芸術品みたいなものだったのでしょう。そういう館には今でも館の子息たちが外遊から持ち帰った絵画、そして大理石の彫刻などが所狭しと並べられています。
イギリスの場合は公認観光ガイドとしてのブルーバッジの資格があります。この制度は1950年に7名のガイドがジョージ.インというシェイクスピア以前から存在していたパブに集まり、公認観光ガイド制度を立ち上げたのが始まりで、現在では2000人のガイドが30か国以上の言葉でガイドをします。
毎回仕事を始める前にこのブルーバッジを胸につける時、不思議な緊張感と、そして同時に誇りを感じます。