1199年、兄のリチャード一世(獅子心王)の後を継いで王になったジョン(イングランド領土であったノルマンディーを含むフランスの多くの土地を失ったため失地王としても知られる)は失ったフランスでの土地を取り戻す戦争のために貴族(バロン)に法外な税金の支払いを要求します。またそれら貴族が亡くなった際には土地を没収したり、未亡人や娘を売り飛ばしたり(!)、一般的には相当悪い王というイメージです(学者によっては、勤勉で努力家だったという人もいますが)。
皆さんの中にはロビンフッドの本や映画の中で登場するジョン王を覚えていらっしゃる方もおいでと思います。
そういうジョン王の勝手な行動に耐えられなくなった臣下たち(貴族―バロン)が後のフランス王ルイ8世を味方につけて興した反乱の結果、身の危険を感じたジョンが一応便宜上に調印したのがマグナカルタです。
先日、私は調印が行われたウィンザー城近くのラニミードという場所のウォーキングツアーに参加しました。幸いお天気も良く、靴がどろどろになるのを覚悟で行ったのですが、普通の運動靴で十分なくらい土は乾いていて気持ちの良いウォーキングでした。調印が行われた800年前は、ここは湿地帯で、歩くのも困難だったようですが。
ガイドは、ウィンザーベースのブルーバッジ.ガイドでした。彼女のガイドは素晴らしく、一緒に誘った友人も感激。内容ももちろんのこと、話し方、雰囲気全てが参加者の関心を惹きつける100点満点のガイドでとてもラッキーでした。
マグナカルタの記念碑のあるところは「調印が行われた場所」と思っている人もいますが、ここラニミードの野原で行われたことは記録に記されてはいるものの正確な場所はわかっていません。
マグナカルタの内容は「人民(当時はフリーマンといって少数の特別なひとたちだけでしたが)は正当な法的裁きがない限り、命や土地、財産を略奪されない」「王は教会の上にたつものではない」「王が勝手に戦争資金のための税金を取り立てることはできない」などが書かれていましたが、この時のマグナカルタは後、ローマ教皇の勅命によって一旦は無効になっています。
ジョン王が赤痢で急死したあと9歳で即位した息子のヘンリー3世治下、再度マグナカルタの内容が見直され、それが現在でもイギリスの法令として残っているものがあるほか、世界中の多くの国での法律の基礎になりました。それが後になって定められた世界人権宣言(1948年)や、ヨーロッパ人権条約(1953年)、また難民、女性、児童、同性愛者などの権利を守る法律、条約へとつながっていったのです。アメリカ合衆国建国の際にもマグナカルタの内容が使われますし、ジョン F. ケネディの大統領就任式のスピーチにも使われましたので、アメリカ人にとっても非常に大切なものです。
800年経った今でさえ、世界中には人権が守られていない国が沢山あります。それを考える時、英語という言葉と共に、マグナカルタがイギリスから現在の英語圏の国々に渡った最高の輸出品であるということが理解できるように思えます。
マグナカルタに興味のある方は、是非ロンドンにある大英図書館で行われている特別展にいらっしゃってください。