1753-1837)が住み(イングランド銀行の建物を設計)、彼の死後、その遺書により博物館として無料で一般に公開されています。ソーンは生前から‘建築、絵画、彫刻を学ぶ学生やアマチュアにインスピレーションを与えるため’の内装や展示を心がけてました。
ソーンはまた古代エジプト、ギリシャ、ローマ、そして絵画などの美術品の収集家でしたので、ロンドンで最も小さな博物館の一つともいわれるこの建物の中には集められたものが所狭しと並べられています。
そのために通路が狭く、一時に入場する人数を制限してますが、この日は時期的なこともあり5分待っただけですぐ中に入れました。
彼の遺書により、ソーンが亡くなった時のままで、そして新しいものを加えたり、処分することも禁じられているために180年近く変わっていない博物館です。私が最後に訪れたのは数年前のこと。展示物は変わっていないとはいえ、「こんなのここにあったかなー?」という新しい発見もありました。例えばあの赤い電話ボックスです(下記の写真)。サー.ジャイルズ.ギルバート.スコット(現在はテートモダン美術館になっている昔の発電所や、リヴァプール大聖堂を設計)がデザインしたものですが、そのデザインはサー.ジョン.ソーンがデザインした妻のお墓にインスピレーションを得たということ。館内に置かれているそのお墓のモデルを見れば、確かに似てる。
さて、この博物館の内部ですが現在は修理中で中庭に足場が組まれているとはいえ、とても暗いのです。自然光をいれるためにソーンが丸天井や、鏡を使って工夫した内装とはいえガイドブックはブラインドが下ろされた窓の近くに行ってやっと読めるくらいです。
それが地下に行くと場所によってはもっと暗くなって、多くの展示品が見えません。‘いくらソーンがいた時と同じ状態でと言っても、これじゃあ博物館って言えないでしょー。’と、そこにいたガイドの人に言ってしまいました、「何も見えませんよー。」って。彼の答えは「ほら、あそこにエジプトの大きな石棺があるでしょう。ソーンは、地下を死に結び付けて訪問客をぞっとさせていたんですよ。だからクライの。」 と、ジョークなのか本当なのかわからない答え。
後でガイドが言ったことが本当だと知りました。つまりソーンは、地下をローマの埋葬場所のイメージにしたかったのです。お客をぞっとさせる効果のためかどうかはわかりませんが。
内部は写真撮影禁止なので、これ以後の写真はガイドブックから複写したものです。見ずらくてすみません。下の写真は、ガイドが言っていた石棺(1303-1290BC のセティ王のもの)で、大英博物館が2000ポンドという値段を拒否した後で、ソーンがオークションで手に入れたものです。この石棺が到着した時、ソーンは1000人を招いて3夜に渡って祝賀会を開いたとか。その際は、館内に300個ものランプが灯されたそうです。そのくらいあれば、良く見えたかも?
‘マンクス.パーラー’と名付けられたこの部屋は、ソーンが食後に訪問客と共にお茶を飲んだ部屋です。
ピクチャールームの壁いっぱいに掛けられた名画。
カナレットの傑作点が3枚展示されていますが、何と言っても有名な絵はウィリアム.ホーガースのふたつの連作油彩画です。
特に社会風俗を表した画家として知られるホーガースは連作油彩画から印刷のために銅版に描き、一般の人の間でも大人気を博しました。ここにあるものは「放蕩一代記」と「選挙」と名付けられた2シリーズです。「放蕩一代記」は1732年から1733年に描かれたものですが、内容は放蕩息子トムが、父からの遺産を手にした途端に妊娠している婚約者セラ.ヤング(左で泣いている女性。その横にいる彼女の母親はカンカン。ふたりの間で交わされたラブレターを落としそうです。)を捨て、新しい洋服を作るため仕立て屋に寸法を計らせている場面から始まります。
贅沢三昧のトムはギャンブル場やコヴェントガーデンの売春宿にも出入りするようになります。3番目の絵ではお酒に酔ったトムの胸に手を入れて、懐中時計を盗もうとする梅毒に罹った売春婦が描かれていますがトムは全く気付いていません。
父親の遺産をすっかり使い果たし膨大な借金を抱えるトムですが、婚約者だったセラ.ヤングは一途にトムを思い続け、彼の借金を返済したりします。さて、結末は?それは博物館を訪れてのお楽しみ。
ホーガースの絵を見るだけでも行く価値があるこの博物館は先ほど言いましたが、時間制になっています。お勧めはシーズンオフ、またはハイシーズンでも開館と同時に行くこと。大英博物館から歩いて15分くらいで行けますし、大英博物館同様無料です。是非ロンドンでの自由時間の予定に入れていただきたい場所のひとつです。