スコットランドは何と言っても景色が素晴らしく、その景色はそこ潜む歴史によって益々生きてきます。今日はそういう景色を皆さんにご紹介します。
ツアーはエジンバラ滞在後、西に向かいます。まずはロモンド湖(ロッホロモンド)です。スコットランド民謡は日本でもお馴染みの歌が多いですね。‛アニー・ローリー’‛蛍の光’‛マイボニー’‛故郷の空’・・・・・
‛ロッホロモンド’の歌は名前は記憶になくても曲を聴けば思い出す方もいらっしゃると思います。歌詞の意味については、様々な訳がありますがほとんどがイングランドとの闘い(名誉革命で国外追放されたジェームズ2世の 孫ボニー・プリンス・チャーリーが再び王座を取り戻すために兵を挙げたが、ついにはイングランド軍に敗れる)に関連したものです。
そのひとつ。イングランド軍に捕らえられた兵士で処刑されることになった人、国に返される人・・・・国(スコットランド)への道は長いが、死んでいく自分は2度と恋人とロッホロモンドでは会えないが、魂はもっと(生きて帰る人よりも)早く国に帰ることができるといった内容です。
グレンコーもまた悲しい歴史を持ったところ。17世紀後半イングランドに忠誠を誓わなければ血を見ると脅され、スコットランドの氏族の長たちは署名場所に向かいます。ところが雪が深く、イングランド側が突然署名場所を変えたこともあり、グレンコーのマクドナルド家の長は約束の期限に署名できなかったのです。ある日マクドナルド家の昔からの宿敵でイングランド側についていたキャンベル氏族はマクドナルド家で何日も手厚くもてなされた後、マクドナルド一族を虐殺します。イングランドと共謀で行ったこの行為は「見せしめのために」というのが理由です。
グレンコーへの道は霧に包まれ、当時の様子が蘇ってくるようです。
バスから降りて軽い散歩をしました。
足元を流れる小さな川は澄んだ水をマクドナルド一族の眠る場所へと運ぶのでしょう。
フォートウィリアムで泊まったホテルのそばには運河が流れています。運河はイングランドでもスコットランドでも18世紀には大切な交通路でした。
勾配のある運河を渡るには欠かせないロックと呼ばれる水門。
先ほどお話ししたボニー・プリンス・チャーリーが祖父の失った王座を再びスチュアート家に(エリザベス女王が1603年に死去し、後を継いだジェイムズ1世はスコットランドのジェイムズ6世で、この時に王家が合併しそこからスチュアート王朝が始まる)取り戻そうとしてスコットランドに上陸した場所はグレン・フィナンです。
昔から私はスコットランドに行けばイングランドと空気が違うと本気で思っています。雲の高さも違うし。人間が作ったボーダーとは言え、その違いに驚きます。イギリスではイングランドも一つの国、スコットランドも一つの国、そしてウェールズも北アイルランドも。それが集まってUK(United Kingdom 連合王国)になっているのが肌でも感じられます。