12/07/2019

ジェイン・オースティンの家



イギリスの文学を代表する作家のひとり、ジェイン・オースティンが晩年を過ごした家はその短い生涯のなかで仮住まいを繰り返すジェインにとっては正に理想の家でした。

そういうことが頭にあったからかもしれません。初めて訪れた時から私はこの家に特別な愛情をを抱いていました。








ジェインは1775年、スティーヴントンの聖ニコラス教会牧師であったジョージ・オースティンとその妻カッサンドラの二女として牧師館で生まれます。暮らしは決して豊かではなく、父は牧師としての給料の他家庭教師をして家計を支えていましたが、ジェインの7人の兄弟は仲良く、幸せに暮らしていたようです。(次男のジョージに関しては精神に障害を持っていた、言語障害であったなど言われていますが彼に関しての記録は残っていません)牧師館はすでに19世紀の初めに取り壊されてしまいましたが、父が牧師をし、彼の退職後兄が牧師として受け継ぎ、またジェインが通っていた聖ニコラス教会は今でも残っています。







小さな村の小さな道を進むと、数件の民家があるだけの場所にその教会があります。




ジェインの記念碑。




スティーヴントンで暮らしている時に、彼女は生涯でただ一度の恋をします。その恋は実らずに終わりましたが、そのつらい経験をしたのもスティーヴントン時代でした。(その後に裕福な男性からのプロポーズを受け一旦は受けたもの気が変わり、翌日には婚約破棄をしています。当時の女性は将来経済的に豊かな相手を選ぶことが優先だったことは彼女の作品から理解できます。でもジェイン自身が真の幸せを考えてプロポーズを断ったことで彼女の信念、芯の強さに魅力を感じます。)

スティーヴントンでの暮らしはジェインにとっては幸せな一時期でした。「分別と多感」「ノーサンガー・アビー」を書き始めたのもこの頃です。

1801年に父が退職、一家はバースに移り住みますが田舎でののんびりした暮らしが彼女には合っていたようで、都会バースでの生活は決して幸せではなかったようです。父の死後、一家はサウスハンプトン、ロンドンで生活しますが、彼女に幸運が訪れたのは1809年のことです。兄エドワードが母とジェイン・カッサンドラ姉妹に(姉の名も母と同じカッサンドラ)永久の住まいになるチョートンの家を提供します。兄は裕福な親せきの養子になっていたので、大きな館や広大な土地を持っていました。チヨウトンの家もその一部として受け継いだものです。

この家が現在のジェイン・オースティンハウス&博物館です。






庭のあるこの家での暮らしは、作家としてのジェイン・オースティンを更に磨いたといえるでしょう。

ダイニングルーム。




ダイニングルームに置かれ、朝食後にジェインが執筆をしたテーブル。










ジェインのベッドルーム。




チヨウトンに引っ越した時にジェインが購入したものと同じタイプのピアノ。




ジェインは1816年初めごろから体調を崩します。1817年5月には病状が悪化し、姉のカッサンドラと共に主治医のいるウィンチェスターに移り住みます。(病名は現在ではアディソン病という名がついています。二人が暮らした家は残っていますが一般公開はされていません。))その2か月後、ジェインは帰らぬ人となり、ウィンチェスター大聖堂に埋葬されました。

ジェイン・オースティンの髪の毛。




41歳の若さで亡くなったジェイン・オースティンですが、イギリスの文学に多大な影響を与えました。

因みにこの家の向いにはカッサンドラという名のティーショップがあります。













ここからジェイン・オースティンが暮らした家を眺めながらお茶を飲む時、気持ちは完全に200年前の世界です。