10/23/2014

アイディアですねー。

昨日は友人とロンドンのティーショップでランチをしました。ここではメニューホールダーが気に入りました。それはスプーン2本と、お皿をディスプレイするような簡単なL字形のメタルのフレームをくっつけただけ。手作りのようです。こういうアイディアを持つ個性的なお店が好きです。




コッツウォルズにあるアンティークセンターのティールームのお砂糖入れは、市販のジャムの瓶をうまく変化させて使っていました。

私は、以前はワインを飲むにしても「赤ワインはこのグラス」「白ワインはこのグラス」とか考えていましたが、最近は色んなコップ(そう、グラスではなく‘コップ’です)を使うことが多くなりました。それは、あるテレビの番組で、イタリアの刑事が普通のコップで、赤ワインをおいしそうに飲んでいたのを見たことがきっかけです。「なんって美味しそうな飲み方!」と思って自分でもやってみたら、美味しい!私はワインそのものの味がわかる通ではないので、気分で味が変わるようです。

決まったスタイルにこだわらず、その時の気分で好きなように食べたり、飲んだり。それが楽しく思うようになりました。

明日から‘アガサ.クリスティツアー’に行ってきます。今回は西の先端、ランズエンドまで足を伸ばす日程で楽しみです。

10/19/2014

カンタベリーの町

ある旅行社からおふたりの男性をご案内する仕事が入りました。お客様のご希望はカンタベリー大聖堂と町の散策、そしてあと一か所を19時に飛行機が出発するまで周りたいとのこと。

カンタベリーはしばらく訪れていません。大聖堂も今は、大聖堂専用のガイドのみ案内ができるそうで、ブルーバッジガイドでも内部でのガイディングは禁止されています。そんなわけで中は日本語のオーディオガイドを借りて(有料)周ることになったのですが、それがどのくらい時間がかかるかもわからないために、その日の計画をはっきり立てることができません。

観光の後空港で終了の時は、飛行機の出発時間に遅れないように特に気を使わなければいけません。また、カンタベリーの町の城壁の中は車は進入禁止のところがほとんどですので、その日の運転手にも情報を提供しなければいけません。こうなったら事前にチェックするしかない!と、列車を使って行ってきました。

その日は雨。珍しいくらいジャージャー降っていて、うっかり水たまりに何回も足を突っ込んでしまい、歩くたびにく靴のなかでクッチャ、クッチャと音がします。

カンタベリー大聖堂はアングリカン.チャーチというキリスト教の宗派の(日本の聖公会、英国のイングランド教会もそのひとつの宗派です)総本山です。そして全てのアングリカン.チャーチの司教のなかでも最高のポジションを持つカンタベリー大司教の椅子(カテドラ)のある教会です。

今回は写真が見えにくくてごめんなさい。雨のために、カメラを構えただけで実際にレンズをはっきり見ずにシャッターを切ったものがほとんどです。


 
 
西暦596年、ローマから法王の遣いでオーガスティンがイングランドにキリスト教を広めるためにやってきました。オーガスティンはその翌年、以前からローマ人の教会があった場所に現在の大聖堂を建てたのです。

何と言ってもカンタベリーと言えば14世紀に書かれた‘カンタベリー物語’を思い浮かべる方が多いでしょう。時は1170年、ヘンリー2世の最も信頼していたトマス.ベケットの殺害が実にこの大聖堂の名を世界中にひろめることになります。

王の右腕でもあったベケットでしたが、カンタベリー大司教になってからは王の教会における権力を制限しようとします。王は、うっかり「低身分のベケットを追放できるものはいないのか?」と口走ったことで、4人の騎士が「王の命令」と受け止め、大聖堂でベケットを殺害します。

その直後に、ベケットは殉教者として‘聖’トマス.ベケットとなり、そのお墓には巡礼者が大勢訪れます。彼らはベケットのお墓に詣でることによって不治の病が治ったり、奇跡が起こると信じていたのでした。

そういう巡礼者の何人かが途中で出あい、大聖堂に一緒に行くまでの物語を描いたのが‘カンタベリー物語’です。彼らはベケットのお墓に続く階段を跪きながら登ったために、その石の階段はかなりすり減っています。


 
 
どこの教会もそうですが、巡礼者がおとすお金は(献金や、土産物)重要な教会の運営資金になります。英国一有名な聖者であるトマス.ベケットのお墓があることはカンタベリー大聖堂にとっては、非常に大事なことだったのです。
 
ところが、16世紀にヘンリー8世によって行われた宗教改革では聖者は反逆者とみなされ、修道院の崩壊と同時に聖者のお墓も破壊され、ベケットのお墓も同じ運命をたどることになります。ですから、今は「ベケットのお墓が最初作られた場所(地下)」「次に移動した場所」という場所のみが残っているだけです。
 
大聖堂の近くには、昔、お金のない巡礼者が泊まった施設もあります。下の写真はイーストブリッジ病院(病院とは言っても本来は宿屋や養老院などの意味もありました)です。
 
 
 
 
 
 
さて、私も日本語のオーディオを借りて実際に聖堂内を歩いてみました。とてもわかり易い日本語で、大満足。時間にすればゆっくり鑑賞して周りながら全部聞き終えるとしたら2時間(受付では45分と言っていましたが、どんどんとばさなければ無理)かかります。
 
町はローマ時代に造られた城壁の跡に14世紀~15世紀に建てられた防壁で囲まれています。
 
 
 
 
スタウア川に面したところには昔の職工人が住んだオールド.ウィーヴァ―ズ.コテージ(上の写真)があります。16世紀にフランスなどから宗教迫害を受けてやってきたユグノー教徒が機を織っていた家です(下の写真では左の白黒の建物)。遠くにダッキング.ストゥールが見えます(ボートの上あたりに突き出た椅子)。これは秩序を乱した人(多くは女同士の喧嘩など)をその罰として椅子に座らせ、椅子ごと何度も水に浸けるのに使われたものです。なんだかおもしろそう!やってみたい気も.....
 
 
 
 
さて、お客様をご案内した当日は雨もあがり、防壁の外で車を降りて気持ちの良い散策を楽しみました。
 
カンタベリーの後に寄ったリーズ城はとても美しく、駐車場からバスで敷地内を走り、お城に着きました。
 
 
 
こうして当日は、カンタベリーの町、リーズ城を見学した後、交通渋滞にも遇わず、飛行場に十分余裕を持って到着することができました。今回は特に歴史に興味を持っていらっしゃるお客様で、道中は歴史の話を私からのみお話ししたのではなく、お客様からも新しい情報をいただいて勉強になりました。下見の日はベチョベチョになって帰ってきましたが、二日後の本番の日は雨あがりの空気が新鮮に澄んでいて、気持ちの良い日になりました。
 
 


10/17/2014

今のコッツウォルズ。

私の観光ガイドとしての仕事の三分の1はドライバーガイド、そしてそのドライバーガイドの仕事の半分はコッツウォルズへのご案内です。コッツウォルズ(日本ではコッツウォルドとも言いますが、英語では地域を示す場合はThe Cotswoldsと言います)は東京と同じくらいの広さの中に200の村が点在しています。観光で有名な村(例えばボートン.オン.ザ.ウォーターなど)は大きな駐車場が(特に観光バスのための)あることが条件です。

でも、小さな村でもご案内したい場所が沢山あります。観光バスを使わない場合は、路線バスやタクシーを使います。ただ、路線バスは待ち時間が多く週末は一日に数本、または運航していない地域もあるのです。でもそれに懲りずに移動は不便でも、是非日本の方には、あまり知られていない村も訪れていただきたいと思うのです。

私がドライバーガイドのライセンスを取ったのもそういう理由からです。車が一台通れるくらいの道幅があったら、小さな村を周るのも可能です。幸い運転は嫌いなほうではありませんし、車中でお客様と会話をするのがとても楽しいのです。私の車は運転手を除いて6名まで乗っていただける車です。でもほとんどの場合は3,4名ですから、個人的にどういうことに興味を持っていらっしゃるかがそのような会話によってわかりますし、その結果急に日程を変更することもしょっちゅうです。それがまたドライバーガイドのおもしろいところ。つまり当日にならなければどこに行くかさえ決まっていないことが多いのです。

お食事にしても、当日にお会いした時にどういうものがお好みかお聞きします。パブ?それともマナーハウスや、きちっとしたレストランで時間をかけていただく?またはティーショップで簡単にスープ?またはスコーンとケーキ?選択は色々です。あまり知らない場所でレストランにご案内する場合は、ドライバーガイドの同僚にきいたり、地元の友人にきいたりします。結果的には泊りの場合のランチは簡単にパブやティーショップで、夕食は定評のある地元のレストランでという場合が多いのですが。

数日前もドライバーガイドで日本のお客様をコッツウォルズをご案内しました。10月以降のコッツウォルズもまた、とっても素敵なんです。ただ、その日は前日まで相当の雨で我が家の近くの鉄橋の下は洪水になっていました。コッツウォルズも同じかなー?とちょっと気になりましたが、その日は雨も上がって観光の途中で青空も出てきました。

まずはミクルトンにあるスリーウェイズ.ハウスというホテルからスタート。日本でも‘プディングクラブ’の例会が行われることで知られているホテルです。


 
 
 


下の写真は朝のうちに訪れたスノーズヒルの村です。映画‘ブリジット.ジョーンズのダイアリー’のロケに使われた場所は正にここです。映画の中では人口の雪を沢山使って、とても寒そうなシーンを作りだしていましたが、この日は雪ではなく霧がかかっていました。



 
 
ボートン.オン.ザ.ウォーターを訪れる頃には霧も上がり、明るくなってきました。
11月になれば、毎年この川の真ん中にクリスマスツリーが立ちます。夏場の週末でお天気が良ければ、芝生が見えないほど多くの観光客が訪れることもあります。今のこの状況からは想像もつかないと思いますが。
 
 
 
 
 
 
 
コッツウォルズにはキッチンショップや、陶器のお店などが多く、村と村の間にお買い物も楽しんでいただけました。お昼はバイブリーの近くのパブで。いつものことながら、村はとっても静かなのに、パブに入った途端に大勢の人に驚きます。一体、この人たちはどこから来たの?と。
 
午後も素敵な村や町にご案内してその日お泊りになるカッスルクームに到着。今の時期はこの村も本当に静かで本来のコッツウォルズの雰囲気が満喫できます。
 
 
 
 
 
 
ずっと昔、まだこの村があまり知られていなかった頃、私はここの村をよく訪れていました。上の写真の場面が見下ろせるBBが好きでよく泊まっていたのです。夕方になると、ここに村人が集まってきておしゃべりを始めます。そういう光景を眺めるのが大好きでした。たまに、その輪に入れてもらってゴシップなどを聞かせてもらったりもしました。残念ながらそのBBは火事で焼けてしまい、今は改装されて個人の家になっています。
 
BBの向かいにあるカッスルインというのが、その日お客様が泊られるホテルでした。このホテルのレストランは仕事の際に時々ランチにお客様をご案内します。チェックインのお手伝いをし、お客様にお別れしてから村をぶらっと歩いてみました。
 
 
 
 
 
車に戻った時に、上の窓からお客様が顔を出されてびっくり。素晴らしい場所にお部屋が取れたようです。そこからの景色はきっと、私が昔眺めていた景色とほとんど変わらないのでは?と思います。BBが火事になってからは淋しい思いをしていたのですが、これからはカッスルインに泊まればいいわけですよね。これもお客様におしえていただいた貴重な例でした。
 
 
 
 
コッツウォルズはこれからの時期もとても素敵です。
夏場に見られない、感じられないコッツウォルズをこの時期に是非訪れてみてください。
 
 
 
 
 
 

10/16/2014

ライの町

先日南東にある町ライに行ってきました。今回はプレストリップと言って、日本からのトラベル作家、ジャーナリスト、カメラマンが参加されたツアーです。

私はここ15年くらい、毎年1、2回英国政府観光庁が主催するこのプレストリップにガイドとしてお仕事をさせていただいています。観光庁が「ここを是非広めたい」という場所を選んで催行されるツアーですので、現地での訪問箇所なども彼らが地元の観光庁と共に綿密に選択、企画する中身の濃いツアーです。通常は一定地域でもその周辺や、時にはスコットランド全体などもあるのですが、今回はライのみ。残念ながらお天気には恵まれませんでしたが、石畳に注がれた雨が光って、それがそれでまた素敵なライの一面に出会えたようで満足でした。

さて、ライと言えば密輸業者が蔓延っていた町。古い通りを歩けば中世のホテルの窓から怖い目に見張られているようなところもあれば、可愛らしいティーショップに足と目が誘われます。またアンティークショップが立ち並ぶ通りは‘掘り出し物’を求めてやってくる観光客がブラブラと歩いています。

石畳が敷かれた道の多いライは歩いて観光するに相応しい町で、思わずカメラを取り出してみたくなるような光景が沢山あります。


 
 
 
 
 
 
 
 


中でも一番有名なマーメイド通りは少し急な坂になっていますが、ライを訪れた人は必ず歩く通り。右側にある白黒のハーフティンバーのマーメイドイン(ホテル)は昔、泣く子も黙る怖い密輸団であったホークハーストギャングのたまり場で、今回私たちの宿泊場となった所です。「1420に改築」と書かれたこのホテルには改築されていない1156年の地下室もあります。


 
 
 


18歳でこのホテルのレセプションで働き始めたという現在のオーナーは、このホテルがとても気に入って全財産を投げ出してホテル自体を買ってしまったとか。彼女に案内されたホテルインスペクション。‘ドクター.スィンの部屋’はスイートルームになっていてキングサイズの大きなベッドとシングルベッドが置かれています。とてつもなく大きなその部屋に泊まってしまった(?)メンバーのひとりは大きすぎて落ち着かないと、シングルベッドで眠ったようです。

実はこのお部屋、現エリザベス女王の母君が泊まられたお部屋。その他にもジェイムズ.ボンド役を演じたピアス.ブロズナン、またジョニー.デップは相当気に入って3回も泊まったとか!そうそう、この部屋にはまた本棚かと思いきや、実はそこはドアで密輸業者のための隠れ通路になっています。長く隠れなければいけない時のためにトイレまで造られていました。

私は、ラッキーなことに普通のお部屋です。古い部屋が好きな私でも、あのドクター.スィンのお部屋はちょっと~.....下の写真は私の泊まった部屋です。





 


この町のアンティークショップは小物やアンティークといった商品も置いているところが多く、それが特徴とも言えるかもしれません。




もちろんティーショップだけのところもあります。このアポセカリーというティーショップはそんなに大きくない門構えからは想像できないほど大きな内部にびっくり。雨が降っていたからでしょうか?中は空席を探すのが難しいほど人が入っていました。


 
 
「英国のティーショップと言えばスコーンでしょう。」と。
 
 
 
 
私はスコーンの代わりに窓からの景色をおやつにお茶を楽しみました。
 
 
 
 
アンティークショップも4,5件周りました。可愛らしいキッチン用具のヴィンテージショップも。お店の名前が変わって今はJane Wicks Kichenaliaになっていました。
 
 
 
 
めったに買い物をしない私でも使いやすそうなバッグを購入。
 
 
 
 
 
 
 
そしてテレビのアンティークロードショー(日本の鑑定団番組のようなもの)で有名な人気者のアンディーさんのガラスのお店。テレビで拝見する方と全く同じ。あの笑い、あの笑顔.....そして独特のあのあぶなっかしいガラスの持ち方!
 
 
 
 
ライポッタリーでは素焼きのポッタリーに絵付けするという製法を今でも行っています。カンタベリー物語のフィガーを見て、私まで「揃えてみようかしら?」という気になりました。
 
 
 
 
 
 
犬の置き物も欲しかった!
 
 
 
 
 
ライに来たなら絶対に登らなければいけない聖メアリー教会の塔は細い階段や梯子を登っていきます。
 
 
 
途中で鐘のあるところを通ります。この鐘は1377年にライがフランスに奇襲された際に盗まれたものを翌年、ライの男たちがフランスに侵入して取り返してきたものをその後溶かして再度鐘にしたものです。ライの男はエライ!
 
 
 
 
塔の頂上からはライ全体を見渡すことができます。
 
 
 
 
 
12世紀の部分が残る教会の中にはバーンジョーンズがデザインしてモリスの会社が作ったステンドグラスもあります。
 
 
 
 
 
ライに来たなら食事ももちろん町のレストランやカフェ、パブで。
フィッシュカフェという名のレストランでは魚の盛り合わせ。
 
 
 
 
私のお皿には魚は乗っていませんが、代わりに新鮮な野菜の天ぷらと、おいしい野生のキノコが。¥
 
 
 
これまで日本の旅行者にはカンタベリーや、ドーヴァーなどの観光の途中1,2時間に立ち寄るだけのライでしたが、一日中、出来たら一泊してゆっくり散策するには十分価値のある町です。もっと贅沢をしたければここに数泊して周辺のウィンチェルシーなどの町も含めると「これぞイングランド!」と思う素敵な光景に多く出会うはずです。(ウィンチェルシーまでは歩いても行けます)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

10/08/2014

カラフル.ライフ

最近、モリスに関してのブログを書く機会が多く、‘10人の人がすることを一人の生涯でやり通した人’ということを書きました。

今日は、身近な人のことを書きたいと思います。

先日、大切な友人Dのメモリアル.サービスに行ってきました。彼は始めは主人の友人だった人です。突然ジブラルタで(イギリス海外領土のひとつでイベリア半島の先にある)亡くなりました。そういうわけで、教会には棺の代わりに遺灰が置かれ、キリスト教のメモリアル.サービス(お葬式)が行われたわけです。

最初に流れた曲は戴冠式に使われるヘンデル作の ‘司祭師ゼイドック’ でした。何故この曲が?と始めは皆不思議に思っていましたが、しばらくして「ああ~」と納得したようです。実はこの友人は1953年の現エリザベス女王の戴冠式の際に聖歌隊のひとりとして、この歌を歌いました。その日流れた曲は、単に普通のCDではなく、戴冠式の際に録画されたCDだったのです。つまり、この中に少年時代のDの声が入っているのです。

もう20年位お付き合いしているDが女王の戴冠式に歌ったことを知ったのは、彼がある時突然テレビに出た時でした。それは女王戴冠60周年に関したテレビのインタビュー番組でした。突然画面に映ったDにびっくり。そんなことは一度も彼から聞いたことはありませんでしたから。

そして今回のメモリアル.サービスでの家族や友人たちのスピーチで、Dは70数年の人生の中で、それはそれは多くの事をやってきたことを知りました。お子さんのスピーチでは「小さい頃、父の職業を聞かれた時は本当に困りました。なにせ、色々なことをやっていましたから。音楽家であり、作曲家であり、歌手のエージェント、マネージャー、企業家、作家、パブのオーナー....そうそう、ボートを造っていたこともあります。」と。知らなかったことばかりです。この日、教会の中でDが生涯に成し遂げた全てを知っている人は皆無だったかもしれません。

3人の子供のうちふたりを幼い時に亡くしたことも、知りませんでした。だから子供の病院のチャリティ活動も一生懸命だったのだなーと今になってわかりました。

また友人代表のスピーチで、アースナルのプロのサッカー選手もしていたそうで膝の大怪我をしていなければ有名フットボーラーになっただろうということも初めて知りました。

親しくしていて、大好きだった友人の事は結局知らないことばかりでした。でも、知らないことがいっぱいあってもDは「友人と言えることが誇り」と思う人でした。

そんなDのメモリアル.サービスは涙と笑いの繰り返し。「こんなことがあった。」と言えば、「そうそう、Dのしそうなこと」とほほ笑みながらうなずく人、「本当だと億万長者になっているところだが、あまりに人に対して寛大なDだったから」と言えばDの性格を思い出しては胸に熱いものがこみあげてすすり泣きが聞こえます。本当に、本当に優しい人だったのです。ネガティヴという言葉は彼には通用しない、存在しない人でした。

サービスが終わってからも教会の前でいつまでも立ち話をしているひとが沢山いました。生きている時にもDと別れたくなくておしゃべりをし続けた友人たちです。




 


ギルフォード近くの小さな町のこの教会、とてつもなく大きな木が、まるでとてつもなく大きなハートを持ったDのようでした。




教会でのサービスの後は車で10分くらいのところにあるポロクラブでお別れ会がありましたが、Dに育てられた歌手が何人も訪れ、舞台で音楽、スピーチが行われました。通常ではお葬式には全くそぐわないと思われる曲もありました。でもその歌手、曲がDとってどれだけ意味のあるものか、舞台の横に置かれたDの写真を見ながら一緒に、楽しんでいること確信しました。




帰宅の途中、素晴らしい虹が見えました。完全に半円をした虹です。まるで彼の口癖、You wouldn't beleive this.(信じられないことをおしえよう)という言葉の代わりにかかった虹のように思えてなりませんでした。カラフルな人生を送ったDに相応しい最後の小道具になりました。どんなことがあってもいつも前向きで、そして楽天的で、寛大で....これからは実際に会うことはできなくなりましが、Dの思い出はこれからの私たちにとって大きな力になってくれることは間違いありません。




*御嶽山の噴火のことがこちらでもニュースになっています。多くの犠牲者をだし、行方不明の方もまだ多くいらっしゃるということですが、一日も早く救助活動が完了するようお祈りします。犠牲になられた方のご冥福を心からお祈りします。












10/05/2014

ウィリアム.モリスのツアーを終えて。

今からちょうど10年前に南川三治郎さんが執筆された家庭画報のウィリアム.モリス特集、それに続いて出版された『ウィリアム.モリスの楽園へ』のコーディネートをさせていただいた際に、モリス関係の場所を色々訪れる機会に恵まれました。知れば知るほどモリスの人間性に惹かれていきます。日本でも年々注目を浴びてきていることは確かで、私もガイドとしてここ数年はグループ、個人共に年に3、4回ご案内する機会があります。


 





お客様はモリスの研究家からデザインに興味を持つ方などさまざまですが、皆さん現地にいらっしゃって実際にモリスが住んだ家などを訪問され、以前にも増してモリスのデザイン、そして人間性を理解されるようです。私も過去に何十回訪れても、行く度に新しい発見、そして新しい感情が湧き出るのを感じます。

モリスに関しては、8月27日と9月21日のブログでご紹介しましたので、今日は素晴らしい景色を中心にご案内しましょう。毎年恒例のこのモリス.ツアーはワールドブリッジ社が企画したものです。この時期のコッツウォルズはそろそろ紅葉が始まり、建物を這う蔦が見事です。また‘食欲の秋’ですから、おなかを減らすために、沢山のウォーキングもしました。

まずはブロードウェイタワーです。1798年にコヴェントリー伯爵が建てたこのタワーは風景庭園には欠かせないフォリーの一種で、建物の役目は遠くから眺めるためのもの。つまり周りのガーデンの一部として建てられたものです。実際にこのタワーは、人が住んだこともあり、モリスも娘のメイと訪れています。


 
 
丘からは晴れた日であれば
ウェールズまで見ることができますがこの日は遠くがかすんでいて、はっきいり見ることができませんでした。
 
 
 
 
 
タワーのある丘からブロードウェイの町まで、パブリックフットパスを使ってウォーキングです。途中、ベンチのある場所で休憩しながらゆっくりと。「ああ、おにぎりがあったら最高なんだけど」と、日本の遠足をちょっと思い出しながら。
 
 
 
 
 
ブロードウェイにある民家の蔦も見事に紅葉していました。
 
 
 
 
 
シュウメイギクはこちらではジャパニーズ.アネモネと言います。日本からやってきたのでしょう。私の好きな花のひとつです。(窓の手前にある背の高い白い花)
 
 
 
 
 
チッピング.キャムデンも秋はまた風情があります。
 
 
 
 
 
 
モリスに影響を受け、アーツ&クラフツの代表的アーティストのひとりになったチャールズ.アシュビーは銀工房をロンドンからここに移しました。その工房は今でもアーツ&クラフツの息を受け継いで手作りの銀器を作っています。
 
 
 
 
 
昼食に立ち寄ったデイルズフォードの野菜もおいしそう。近かったら買って帰りたかった。
 
 
 
 
 
 
 
モリスが「イングランドで一番美しい」と言ったバイブリーは日本人に大人気です。
 
 
 
 
 
 
ここでもスワンホテルの蔦が紅葉していました。
 
 
 
 
 
 
日本人に人気の民家の前庭も、春とはまた違った姿を見せてくれています。
 
 
 
 
 
 
3連泊したローズ.オヴ.ザ.マナーの周りは散歩に最適です。ホテルでの秋の食材を使った夕食にも皆さんご満足でした。
 
 
 
 
 
 
モートン.イン.マーシュの町から少し行ったところにあるバッツフォードの植林園を1時間くらい散歩しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここの教会はCDで讃美歌が流れています。初めて訪れた時は、本当に感激しました。散歩でちょっと疲れた足を讃美歌を聞きながら休めて、そして心まで十分癒してもらいました。
 
 
 
 
 
 
この他にも200もあるコッツウォルズの村々のなかで、ほんの数か所ですが
散策しました。
 
この頃のバラは数こそ少ないのですが、「私は静かな時期が好き」と言わんばかりに顔を出しているみたいで、共感が持てます。思わず「私もそうよ。」と返事をしたりして。
 
 
 
 
 
 
古い石の壁に吊るされたハンギングバスケット、そしてそれを覆う真っ赤な蔦は私の持つイギリスのパブのイメージそのものです。
 
 
 
 
 
夏に咲いたバラは、今はローズヒップになって。これもまた綺麗。
 
 
 
 
 
 
窓の中からの景色はどんなのかしら?まるで葉っぱの額縁です。
 
 
 
 
 
 
モリスが夏の住処として使ったケルムズコットマナーにも秋の訪れを感じます。
 
 
 
 
 
 
 
モリスが新婚生活を始めるために友人達との共同作業で建てたレッドハウス。モリスが生涯で一番幸せだった5年間をここで過ごしました。
 
 
 
 
 
 
 
ここの庭でも、まるでモリスがデザインしたかのような蔦が木に絡まっていました。そのまま壁紙にしたいくらい美しい紅葉です。
 
 
 
 
 
今年のモリスツアーはこれが最後です。食べること、そしてワインが大好きだったモリス。この時期は特にモリスが好きだったのでは?なんて思いながら5日間のモリスツアーのご案内を終えました。ツアーの皆さんも私と同じくらいご満足していただけたら幸せです。