3/31/2015

田舎のパブ。

息子のお嫁さんの両親は年に1度はアメリカから彼女に会いにやってきます。今思えば私の両親が初めてイギリスに来たのは、私が結婚してイギリスに来て暮らし始めてから3年経った時でした。行ったこともない外国に娘を出した親の気持ちは、年をとるにつれてますます身に沁みて感じてきます。(若かったからできたことです!)

時代は変わりました。私のお客様にもリピーターの方々が多く、イギリスに毎年いらっしゃる方も大勢おいでです。息子のお嫁さんの父親はイギリスで仕事のチャンスがあると必ず受けてやってきます。娘に会いたい親の気持ちがよくわかります。今回はアイルランドでの仕事だそうで、今、お嫁さん、そして両親3人でアイルランド旅行に行っています。看護婦として歩み始めてから、両親と3人一緒の初めての大きなホリデーです。

お父さんがイギリスに来て一番楽しみにしていることのひとつは田舎のパブで地ビールを飲むこと。それで毎回お父さんが来る度に主人は数日かかってパブを探します。

今回は、ロンドン北のレッドレット近くにあるホワイトホースに行きました。1845年にできたパブということが壁に記されています。





ファミリーレストラン的なパブで、子供もOK。近年、イギリスではガストロ.パブというのが出てきて人気です。でも、‘ガストロ’と名がつくだけで料金が随分高くなるようです。別にパブの名前に‘ガストロ’とついているわけではないのですが、パブのウェブサイトにこれを見かけると、他に移ります。
特別な機会でない限り、私たちは‘ガストロ’には行きません。


 
 
 
さて、お客様から頻繁に質問されること。それは‘ Free House’のこと。「飲み物は無料なんですか?」「チャリティですか?」「ホームレスの人のためのパブですか?」「何がフリーなんですか?」.....
 
 
 
 
 
 
パブのほとんどはビール製造会社が持っています。ですから、そのパブはそのビール会社で作られたビールしか飲めません。極端に言えば、隣に地元の小さなビール工場があってもFree houseでない限り、そこで作られている地ビールを飲むことはできません。
 
「ウチはビール工場が経営しているのではありません。だから色々なビール飲めます。」というのがFree houseです。もちろん必ずしも地ビールがおいしいというわけではありませんので、大会社が経営しているパブのビールでも美味しいものはたくさんありますからFree houseだからビールがおいしいということではありません。
 
近年は飲酒運転が厳しくなり(日本と違い、一定量のアルコール以内は飲んで運転してもいいことになっています)、飲み物だけではパブの経営も難しくなってきました。それで食事もおいしくなり、レストランも兼ね備えたパブが増えました。そのようなパブレストランはファミリーレストランのようなところが多く、子供も食事ができますので日曜は賑やかです。
 
 
 




パブ料理の基本はイギリス伝統料理です。昔よりはずっと種類も多くなり、シェフ自慢の料理も食べられます。

そしてデザートも、昔のイギリス伝統デザートに工夫を凝らしていて、それぞれのパブの特徴が見られるので私は「パブに行ったらデザート」と、昔のパブのイメージとはだいぶかけ離れたことをしています。

例えばアップル.クランブル。昔は大きなスプーンですくって形のないものにカスタードをかけていましたが、ホワイトホースのものは......





アップルタルトもおしゃれです。
 
 
 


塩キャラメルのチョコレートムースは初めていただきました。
 
 
 
 
 
 
ハルミチーズのフィッシュ&チップスの衣は抜群の出来でした。きっとまたこのパブを訪れることになりそうです。
 
今日から4月22日まで日本に行きます。今回はちょっと長めの帰国です。友人たちから大阪、東京では桜が満開というメールをいただいています。前回日本の桜を見たのは7年前に父と一緒に母の実家である彦根に行った時でした。今回も本当に、本当に楽しみにしています。
 
行ってきま~す。

3/26/2015

空軍戦没者慰霊堂

先日、マグナカルタ.ウォークを案内してくれたガイドが、マグナカルタが調印された野原から見える空軍戦没者慰霊堂を指しておしえてくれました。「あそこには私の叔父の名前が刻まれています。第2次世界大戦で21歳の時に亡くなりました。叔父は21歳の誕生日に父にこう言いました。‘これが最後の誕生日になるだろうから思いっきり素晴らしいバースデーを送るんだ。’と。叔父はそのすぐ後で出征し戦死しました。時間があったら是非訪れてみてください。素晴らしい慰霊堂ですから。」

イギリスでは日本と違って成人は21歳です。やっと大人になった彼女の叔父さんは大人になってすぐに亡くなってしまったのです。





彼女の言う「素晴らしい」の意味がよくわからなかったのですが、帰りがけに友人と立ち寄ることにしました。





 
 
 
 
そこには第二次世界大戦で戦死した英連邦の空軍男女兵士20、456人の名前が壁一面に刻まれていました。
 
 
 
 
 
 
 
これらの人たちは全てお墓の無い人たちです。空軍ですからどこで亡くなったかもはっきりわからない人が多いようです。愛するひとたちを亡くした家族たちはお墓参りとして1953年にできたこの建物に世界中からやってきたのです。
 
テムズ川を見下ろす丘の上の建物は実に静かです。今では訪問客は家族というよりはむしろ、世界中から戦争で亡くなった方たちへの敬意を表すために来る人が多いのかもしれません。私たちがいる時にもたまたまマグナカルタのツアーで一緒になった女性が来ていました。聞くところによると、彼女はイギリス人で(年は40代後半くらい)、第1、2次世界大戦の戦場になったところや慰霊堂を周っているのだそうです。
 
この日はお天気は良かったのですが、少し靄がかかっていました。そうでなければここからロンドンが見えるはずです。
 
 
 
 
戦争を体験していない私が、つい70年前まで日本と戦争をしていた国の慰霊堂で、今こうやってイギリス人、アメリカ人の友人と共に戦没者のために祈っていることがとても不思議に感じられました。
 
ガイドの言った「素晴らしい」という意味と同じかどうかわかりませんが、景色の素晴らしさと同時に昔の敵もいつかは友になる日がくること、そして平和のため、家族のためと信じて死んでいった人たちのことをこうやっていつの世でも思い出すことが出来る場所があることが実に素晴らしいことだと思いました。
 
 


3/22/2015

マグナカルタ調印から800年

今年はジョン王がマグナカルタ(大憲章)に調印した1215年からちょうど800年の年にあたります。イギリス各地でさまざまな展示会、イベントが行われています。





1199年、兄のリチャード一世(獅子心王)の後を継いで王になったジョン(イングランド領土であったノルマンディーを含むフランスの多くの土地を失ったため失地王としても知られる)は失ったフランスでの土地を取り戻す戦争のために貴族(バロン)に法外な税金の支払いを要求します。またそれら貴族が亡くなった際には土地を没収したり、未亡人や娘を売り飛ばしたり(!)、一般的には相当悪い王というイメージです(学者によっては、勤勉で努力家だったという人もいますが)。

皆さんの中にはロビンフッドの本や映画の中で登場するジョン王を覚えていらっしゃる方もおいでと思います。

そういうジョン王の勝手な行動に耐えられなくなった臣下たち(貴族―バロン)が後のフランス王ルイ8世を味方につけて興した反乱の結果、身の危険を感じたジョンが一応便宜上に調印したのがマグナカルタです。

先日、私は調印が行われたウィンザー城近くのラニミードという場所のウォーキングツアーに参加しました。幸いお天気も良く、靴がどろどろになるのを覚悟で行ったのですが、普通の運動靴で十分なくらい土は乾いていて気持ちの良いウォーキングでした。調印が行われた800年前は、ここは湿地帯で、歩くのも困難だったようですが。


 
 
 


ガイドは、ウィンザーベースのブルーバッジ.ガイドでした。彼女のガイドは素晴らしく、一緒に誘った友人も感激。内容ももちろんのこと、話し方、雰囲気全てが参加者の関心を惹きつける100点満点のガイドでとてもラッキーでした。





マグナカルタの記念碑のあるところは「調印が行われた場所」と思っている人もいますが、ここラニミードの野原で行われたことは記録に記されてはいるものの正確な場所はわかっていません。






マグナカルタの内容は「人民(当時はフリーマンといって少数の特別なひとたちだけでしたが)は正当な法的裁きがない限り、命や土地、財産を略奪されない」「王は教会の上にたつものではない」「王が勝手に戦争資金のための税金を取り立てることはできない」などが書かれていましたが、この時のマグナカルタは後、ローマ教皇の勅命によって一旦は無効になっています。

ジョン王が赤痢で急死したあと9歳で即位した息子のヘンリー3世治下、再度マグナカルタの内容が見直され、それが現在でもイギリスの法令として残っているものがあるほか、世界中の多くの国での法律の基礎になりました。それが後になって定められた世界人権宣言(1948年)や、ヨーロッパ人権条約(1953年)、また難民、女性、児童、同性愛者などの権利を守る法律、条約へとつながっていったのです。アメリカ合衆国建国の際にもマグナカルタの内容が使われますし、ジョン F. ケネディの大統領就任式のスピーチにも使われましたので、アメリカ人にとっても非常に大切なものです。






800年経った今でさえ、世界中には人権が守られていない国が沢山あります。それを考える時、英語という言葉と共に、マグナカルタがイギリスから現在の英語圏の国々に渡った最高の輸出品であるということが理解できるように思えます。

マグナカルタに興味のある方は、是非ロンドンにある大英図書館で行われている特別展にいらっしゃってください。






3/19/2015

メアリーのところに届いたマーマレード

スノードロップに代わって水仙やクロッカスが咲き出したこの頃、春の訪れを感じながら友人2人とドライブに行ってきました。行く先はメアリーの家。「ワイルドなガーデンのスノードロップが最高だから。」というメアリーからの情報はもう2週間前のこと。でもやはりスノードロップは終わりかけていました。彼女専用の花壇には小さな水仙は咲いていましたが、池のほとりにあるワイルドガーデンは気温がだいぶ違うようで、水仙はつぼみさえつけていませんでした。がっかり。

そんなところに小さなパッケージが届きました。「敦子からだわっ!」というメアリーの嬉しそうな声。さっそく開けてみると中にはデイルメインのマーマレードコンテストでゴールドを取ったマーマレードが入っていました。すぐにスプーンを持ってきて皆で試食。「変わっているオレンジね。でもおいしいわー」「なんて綺麗な色なのでしょう!」「ピムズの入ったマーマレードは初めてだわっ!」




 

敦子さんのマーマレードはいつか一般に販売されるそうで、皆さん楽しみにお待ちくださいね。

さて、この日はメアリーがランチを作ってくださいました。4人のうちふたりがベジタリアンなので、この日のお料理は‘チェストナッツローフ’と‘マッシュルームとレンティルのローフ’、そしてデザートはブレッド&バタープディングです。


 
 
 
 





私は本当にラッキーだと思います。メアリーの所に行けばいつも美味しいものを作ってくれるし、ヴェジタリアンの友人も沢山いるので、彼女たちからヴェジタリアン、ヴィーガンに関する情報が沢山入ります。

ずっと前からしたかったことがあります。それは日本で卵、乳製品のアレルギーのお子さんを持つお母さんたちにヴィーガンレシピーを広めることです。マフィン、チョコレートケーキは美味しいのができてハッピーです。ブレッド&バタープディングは70%完成。

先週の日曜日は母の日でした。カナダにいる娘から「間に合わないけど」と、ヴィーガンチョコレートのプレゼントをもらいました。でも実際に届くのはもっと後です。ヴィーガンチョコを作る若い男性が、銀行で高い利子を払ってお金を借りるのではなく、ビジネスに共感する人がお金を出資。株と違い、お金が入るのではなく品物で返すというシステムだそうです。だからすぐには品物が届かないのだと思います。

でも、絶対に頑張ってほしいビジネスです。だからいつまでも待ちますよー。お金儲けのためにだけ投資するのではなく、そのビジネスが成功することによって自分の暮らしもハッピーになる。だから投資する。素敵なことだと思います。

3/14/2015

物置のピアノ

昨日はロンドン大学で上映された日本映画「物置のピアノ」を観てきました。今回はロンドンしゃくなげ会(在英国福島県人会)会長の満山氏からお誘いをいただきましたが本当に感謝しています。素晴らしい映画でした。


 
 
下記はご案内の中からのコピーです。
 
 
◎映画『物置のピアノ』について
 ピアノに魅せられた17 歳の女子高生の揺れ動く青春と旅立ちの物語。震災から1年
後の福島県桑折町を舞台とし、桃農家を営む家族の絆の再生を描いた作品。2014 年
オーストラリア日本映画祭に公式作品として出品し、好評を得る。
監督:似内千晶
主演:芳根京子
製作:2014『物置のピアノ』製作委員会
(※プロデューサーのお一人である橘内裕人様は今回の上映に当たり来英予定)
 
震災の前にすでに撮影が始まっていた映画ですが、震災で中断されていたところを「今自分たちにできることは制作を続行することだった」という福島出身の橘内氏の言葉に動かされました。ですからこの映画は全て震災に焦点を当てたものではなく、震災前に他の土地に住む日本人と同じようにそこに暮らしていた人たちのそれぞれの人間模様、そして震災後、その影響を受けながらその土地に暮らす人々の生き方、考え方を同時に伝えています。そこがこの映画の特徴であり、また美しい画像に、特に日本から遠く離れて暮らす人には感慨深く感じられたことと思います。
 
 
 
 
 
 
会場は350人収容できる大きなレクチャーホールでしたが、満席です。
 
そしてこの日、個人的にも良いことがありました。何人かの私の大昔の友人、知人に会いました。行方がわからなくなってしまって、でも時々思い出す友人たちは「もう一生会えないかも?」と思っていた人たちです。再度住所を交換し合って、再会を約束しました。
 
皆さんにも是非見ていただきたい素晴らしい映画でした。

3/11/2015

東日本大震災から4年



今日は朝から久しぶりにテレビのNKKワールドのチャンネルを見ています。NHKワールドはNHKが海外用に英語で伝えていますので、主人も一緒に観ています。

東日本大震災から今日で4年目。あの日のことははっきり覚えています。朝起きてテレビのニュースを見たらとてつもなく広い土地で、民家や畑が大きな波にどんどん飲み込まれている場面が映し出されています。こうして私は寝ているうちに、地球のどこかで大変なことが起こったことを知りました。それが日本であることを知ったのは、それから少し後です。まず出た言葉は「まさか!」ということ。あり得ないことが、今こうしてテレビに映しだされている。しかも日本で。

この日一日は、そしてその後数日間はテレビで映し出されるのはいつも同じあの恐ろしい場面です。ロンドンでは、遠くにいて何もできない、でも何かしなければいられない日本人たちがチャリティ活動を始めました。その後津波の被害だけではなく原発事故の報道が始まりました。最悪の事態にある日本を思うと、本当に生きた心地がしませんでした。

もちろん日本人である私だけではなく、英国で暮らす人にとっても同じです。道を歩いていても、私が日本人であることがわかると「あなたのご家族は大丈夫でしたか?」と知らない人が声をかけてくれたりしました。「少しでも役に立ててほしい」と自ら募金を申し出てくれる人もいました。

そして、4年経った今日、NHKワールドのニュースや震災に関する他の番組を観ているうちに考えさせられることがたくさんありました。被災者の中には時間が経つにつれてほんの少しずつでも将来に光が見えてきている人、益々悲しみ、怒りがこみあげてきている人......

自然を甘くみてはいけないことをつくづく感じます。そしてその自然が怒りだした時、少なくとも人間の手で、その状況をもっと悪くすることは絶対に避けなければいけません。皆、「自分も原子力発電所の近くに住む」と仮定して「賛成」「反対」の意見を持つべきと思います。「私たちの関係のないところに造るのなら。」「自分たちは大丈夫だから」という考えは通用しません。

今日のテレビを見てますますそう思いました。その反面、被災者が一生懸命生きている様子に「人って強いなー」と感じて胸が熱くなりました。また日本で被災者のために役にたちたいと活動しているボランティアの人たちを見て「世の中、悪くないなー」と安心したことも確かです。

ますます私たちは大きな社会の一員であること、皆で力を合わせて全ての人が幸せな暮らしができる世の中になるよう努力することこそ、人間に与えられた義務であることを感じました。

来年の今日は被災された方のひとりでも多くの方に幸せが戻るよう願っています。


3/09/2015

デイルメインのマーマレードコンテストに入賞!

昨日は朝から興奮していました。世界的に有名なデイルメイン(カンブリア地方にある貴族の館)で行われるマーマレードコンテスト‘Dalemain Marmalade Awards’に、‘かんきつ類のマーマレード部門’で入賞しました!!!

と言っても私ではありません。お客様です。林敦子さんという方で、長い間毎年英国にいらっしゃって各地を周りながら研究を続けていらっしゃいます。英国料理、それもお菓子を含めすべてに深い関心をお持ちで、いつも食関係を中心にご案内しています。田舎のティーショップやファーマーズマーケットなど。興味深い食べものがあれば、それをホテルに持ち帰って、お部屋で分析。私も彼女から学ぶことがたくさんあります。そしてメアリーのところにはいつもご自分が作られた何種類ものマーマレードや、チャツネを持っていらっしゃってメアリーに試食してもらいます。その度に彼女の腕はどんどん上がりメアリーも驚くほどです。

今年は日本人ではもう一人、杉本悦子さんという方が入賞されました。うれしいですねー。日本人がふたりも入賞したなんて。







 
下記の写真は、その研修旅行で訪れた時の写真です。スコーンが
焼きあがったばかり。


 


たった今、メアリーに報告の電話を入れたところとても喜んでいました。実は林敦子さんが今回入賞されたマーマレードのレシピーはメアリーのレシピーが基本になっているのです。そして今回入賞されたダイダイを入れたマーマレードは一昨年、彼女がメアリーのところに持って行ったマーマレードの中でも、メアリーが一番気に入ったものだったと思います。

メアリーのレシピーを丸ごと使うのではなく、色んな方に出会って、更にご自分で研究されてオリジナルを造りだすところはさすが林敦子さん。

何事も妥協を許さずにコツコツとご自分で納得ゆくまでお菓子やジャムを作り続ける彼女は、お会いするたびに私に大きな力と希望を与えてくださいます。現在はお店を開くために準備中とのことですが、彼女のことですからご自分で満足されるイギリスのお菓子やお料理の完成品ができたらきっと皆さんにも召し上がっていただける日が近いうちに来ると思います。お店の名前はEnglish Kitchen®イングリッシュキッチン。

この写真はあるティーショップのキッチンで。林さんのお顔がぼけていてすみません。(ご本人に了解を得て掲載しています。)


 

そしてご本人から送っていただいた写真です。


 
 
 

 
 

 
  昨日は日曜のいつもの静かな朝からスタートしましたが、林さん入賞のメールを見た途端に興奮と幸福感ではちきれそうで知人に電話しまくりました。

3/06/2015

ラグビー ~ ワールドカップに向けて。

私の所属するブルーバッジギルド協会、日本語ガイド協会、ドライバーガイド協会では、仕事の少ない11月から4月にかけてさまざまな勉強会、ミーティングを行います。

数日前は日本語ガイド協会のスタディ担当の役員がトゥィッケナムにあるラグビースタジアムの見学を企画してくれました。今年9月18日から10月31日におこなわれるラグビー.ワールドカップのファイナル戦がおこなわれるスタジアムです。2019年は日本がホストカントリーになりますので、日本でもラグビーファンが増えることでしょう。

まずはトゥィッケナムの駅を降りると途端に目に入るプラットフォームの看板。一気にラグビーの世界に引き込まれてしまいました。




駅からバスで5分ほどでスタジアムに着きます
 


 
 
 
実は私、ラグビーに関して知っていることと言えば「サッカーと違ってボールを持って走ってもいい。」ということと、「選手の太ももの周囲の長さは松田聖子のウェストと同じくらい」ということ。(私と同年代の同僚におしえてもらいました!)
 
 
でも実際にピッチの観客席に座って、ガイドの説明を聞いているうちに「いつか観戦したい」という気持ちになりました。フットボールと違って、観客は敵、味方が一緒に座りますし、マッチ終了後もみんな同じ出口から出るそうで、喧嘩もしません。フットボールと違って随分紳士的な雰囲気に思えます。(フットボールファンには耳の痛い話ですね。)
 
 
選手になったつもりで。観客の声援を想像しながらピッチに出ます。
 
 
 
 
 
もとはといえば1907年に小さな野菜畑から始まったこのスタジアムは今では82000人を収容できる世界最大のラグビースタジアムになりました。(並んでいる飛行機のようなものは、上からランプを当てて草の成長を促すものです)
 
 
 
 
 
25000点のコレクションをもつミュージアムもあります。2003年にイングランドはオーストラリアに勝って優勝しましたが、延長戦でジョニー.ウィルキンソンが勝利を決めた時のボールも展示されています。北半球のチームでは初めての優勝ということで、あの時は国中が盛り上がりました。
 
 
 
 
 
 
 
ラグビーの発祥は名門校であるラグビー校で、サッカーの試合で学生がボールを持ったまま走りだしたことに始まります。またよくスポーツで使われる‘キャップ(帽子)’とは国際試合に出場するともらえるもので、回数が多いベテラン選手は30とか40のキャップを持っているようです。ラグビーのみならず他のスポーツでもこの‘キャップ’と言う言葉が使われますが、これは昔まだユニフォームというものが存在しなかった時に敵、味方を区別するために試合中に被ったことに始まります。その習慣がラグビー校でも取り入れられ、今では他のスポーツでも使われるようになったそうです。
 
因みにイングランドチームが着るユニフォームが白いのは「汚れたシャツを洗う際は沸騰させた」ということで色が落ちないように白にしたのがきっかけとか。こうして「ウーム、なるほどー」ということがいっぱい出てきます。
 
 
 
 
 
スタジアム見学の後は近所に住む同僚のMBさんがトゥィッケナムの町を案内してくれました。観光ではまず訪れない地域ですが、お天気も良く素晴らしい案内で皆でのんびりと散歩を楽しみました。
 
 
 
 
紅茶で有名なトワイニング(一代目)が住んだ家です(その後改築を繰り返すが、日時計があることからダイアル.ハウスと呼ばれる。その日時計には1726という年代が記されている)。
 
 
 
 
そしてイギリスを代表する画家のひとりであるターナーの家も。
 
 
 
 
みなさんにも機会があったら是非参加していただきたいウォーキングツアーでした。
(個人でガイドを雇うこともできますので、興味のある方は日本語ガイド協会のウェブサイトをご覧ださい。 www.jrtga.com)
 
ロンドンでも有名観光地ばかりではなく、こういった住宅街を含む他の部分も歩けばもっとイギリスという国に深く触れることができると思います。
 
 
3月31日に帰国します。まずは大阪で3日間トークをさせていただきます。
4月3日4日はS Styleのサロンです。「イギリス文化に関してのトークを」とのご希望で歴史、習慣、マナー、イギリスの旅で知っておけば便利な英語などをお話しします。
 
 
 
5日はナショナル.トラストでのトークです。
 
 
 
その後函館で3人姉妹の「皆合わせて176歳」のトークを企画しています。以前から3人とも興味のあった函館の活性化に向けて、出来る行動を興すための第一歩です。
詳細は未定ですが決まったらお知らせします。
 
多くの方にご参加いただければうれしいです。
 
 
 
 
 


3/01/2015

ホーガースの「放蕩一代記」。

先日はブルームズベリー地域でミーティングがありましたので、少し早めに家を出てサー.ジョン.ソーンズ.ミュージアムに行ってきました。ここは新古典派の建築家であったサー.ジョン.ソーン(
1753-1837)が住み(イングランド銀行の建物を設計)、彼の死後、その遺書により博物館として無料で一般に公開されています。ソーンは生前から‘建築、絵画、彫刻を学ぶ学生やアマチュアにインスピレーションを与えるため’の内装や展示を心がけてました。

ソーンはまた古代エジプト、ギリシャ、ローマ、そして絵画などの美術品の収集家でしたので、ロンドンで最も小さな博物館の一つともいわれるこの建物の中には集められたものが所狭しと並べられています。





そのために通路が狭く、一時に入場する人数を制限してますが、この日は時期的なこともあり5分待っただけですぐ中に入れました。





彼の遺書により、ソーンが亡くなった時のままで、そして新しいものを加えたり、処分することも禁じられているために180年近く変わっていない博物館です。私が最後に訪れたのは数年前のこと。展示物は変わっていないとはいえ、「こんなのここにあったかなー?」という新しい発見もありました。例えばあの赤い電話ボックスです(下記の写真)。サー.ジャイルズ.ギルバート.スコット(現在はテートモダン美術館になっている昔の発電所や、リヴァプール大聖堂を設計)がデザインしたものですが、そのデザインはサー.ジョン.ソーンがデザインした妻のお墓にインスピレーションを得たということ。館内に置かれているそのお墓のモデルを見れば、確かに似てる。





さて、この博物館の内部ですが現在は修理中で中庭に足場が組まれているとはいえ、とても暗いのです。自然光をいれるためにソーンが丸天井や、鏡を使って工夫した内装とはいえガイドブックはブラインドが下ろされた窓の近くに行ってやっと読めるくらいです。

それが地下に行くと場所によってはもっと暗くなって、多くの展示品が見えません。‘いくらソーンがいた時と同じ状態でと言っても、これじゃあ博物館って言えないでしょー。’と、そこにいたガイドの人に言ってしまいました、「何も見えませんよー。」って。彼の答えは「ほら、あそこにエジプトの大きな石棺があるでしょう。ソーンは、地下を死に結び付けて訪問客をぞっとさせていたんですよ。だからクライの。」 と、ジョークなのか本当なのかわからない答え。

後でガイドが言ったことが本当だと知りました。つまりソーンは、地下をローマの埋葬場所のイメージにしたかったのです。お客をぞっとさせる効果のためかどうかはわかりませんが。

内部は写真撮影禁止なので、これ以後の写真はガイドブックから複写したものです。見ずらくてすみません。下の写真は、ガイドが言っていた石棺(1303-1290BC のセティ王のもの)で、大英博物館が2000ポンドという値段を拒否した後で、ソーンがオークションで手に入れたものです。この石棺が到着した時、ソーンは1000人を招いて3夜に渡って祝賀会を開いたとか。その際は、館内に300個ものランプが灯されたそうです。そのくらいあれば、良く見えたかも?








‘マンクス.パーラー’と名付けられたこの部屋は、ソーンが食後に訪問客と共にお茶を飲んだ部屋です。




ピクチャールームの壁いっぱいに掛けられた名画。
 
 
 
 
 
カナレットの傑作点が3枚展示されていますが、何と言っても有名な絵はウィリアム.ホーガースのふたつの連作油彩画です。
 
特に社会風俗を表した画家として知られるホーガースは連作油彩画から印刷のために銅版に描き、一般の人の間でも大人気を博しました。ここにあるものは「放蕩一代記」と「選挙」と名付けられた2シリーズです。「放蕩一代記」は1732年から1733年に描かれたものですが、内容は放蕩息子トムが、父からの遺産を手にした途端に妊娠している婚約者セラ.ヤング(左で泣いている女性。その横にいる彼女の母親はカンカン。ふたりの間で交わされたラブレターを落としそうです。)を捨て、新しい洋服を作るため仕立て屋に寸法を計らせている場面から始まります。
 
  
 
 
 
 
贅沢三昧のトムはギャンブル場やコヴェントガーデンの売春宿にも出入りするようになります。3番目の絵ではお酒に酔ったトムの胸に手を入れて、懐中時計を盗もうとする梅毒に罹った売春婦が描かれていますがトムは全く気付いていません。
 
 
 
 
 
 
父親の遺産をすっかり使い果たし膨大な借金を抱えるトムですが、婚約者だったセラ.ヤングは一途にトムを思い続け、彼の借金を返済したりします。さて、結末は?それは博物館を訪れてのお楽しみ。
 
ホーガースの絵を見るだけでも行く価値があるこの博物館は先ほど言いましたが、時間制になっています。お勧めはシーズンオフ、またはハイシーズンでも開館と同時に行くこと。大英博物館から歩いて15分くらいで行けますし、大英博物館同様無料です。是非ロンドンでの自由時間の予定に入れていただきたい場所のひとつです。