2/28/2017

今年のアカデミー賞授賞式は最高でした。

主人は映画が好きですから、毎年ロスで行われるアカデミー賞授賞式は生放送で見ています。ロスとロンドンは8時間の時差がありますから、彼は毎年この日は夜の9時から夜中の1時まで仮眠します。私は賞にはほとんど興味がないので、翌朝のニュースで誰が、どの映画が受賞したか、どの女優がどのデザイナーの服を着たかなどを知るだけ。


ところが今回は初めて「生で見たかった」と思いました。日本でも、最優秀映画が一旦は「ラ.ラ.ランド」と発表され、プロデューサーなどがスピーチを始めてから、実は「ラ.ラ.ランド」ではなく、「ムーンライト」が受賞したことが判明したということが大きなニュースになっていることと思います。



... DGA and Everything in Between, the Latest Winners this Awards Season
 

 
テレビや、新聞ではアカデミー賞が88年前に始まってから「最大の間違い」と報じています。そのなり行きを簡単に言いますと、アカデミー賞は沢山のカテゴリーがありますが中でも一番注目されるのは何と言っても最優秀映画賞です。世界中の映画の中からその年の最高傑作が選ばれるのですから。さて、発表をするために舞台に登場したのが大ベテラン俳優のウォレン.ビーティとフェイ.ダナウェイ。賞の結果は彼らが持っている赤い封筒の中に入っています。この時点で世界で結果を知る人は二人のみ。開票を監督する男女ふたりのみです。(後でわかったことですが、このふたりが最後に舞台で結果を発表する人に封筒を渡すそうです。)
 
さて封筒を開いたビーティは何か戸惑った感じ。誰しもが「早く結果を知らせて!」という顔をしています。封筒に他のカードが入っていないかをチェックしたり何か様子が変です。結局ビーティはダナウェイに結果が書かれたカードを渡し、彼女が「今年のアカデミー賞受賞映画は‘ラ.ラ.ランド’です。」と発表しました。興奮しながら「ラ.ラ.ランド」の製作者たちがぞろぞろ舞台に上がり、スピーチを始めます。
 
ところがしばらくしてスピーチが中断されました。そこに「ラ.ラ.ランド」のプロデューサーがマイクを取り、「これは冗談ではありません。本気です。最優秀映画賞を獲得したのは‘ムーンライト’です!」と発表したのです。
 
すぐにウォレン.ビーティが「カードに´ラ.ラ.ランド’と書かれていたが、エマ.ストーンの名前があっておかしい?と思った。それで発表をためらっていただけ。決してみんなを笑わせようとしたのではない。」とマイクを取って言いました。この授賞式にはジョークはつきものです。最後までジョークと信じた人もいたと思います。「ラ.ラ.ランド」で役を演じたエマ.ストーンは、その前に最優秀女優賞を獲得していました。これがそもそも最優秀映画賞発表の間違いにつながることになるのですが。
 
さて、ここで私が感激、驚き、感心したのはそれぞれの立場の違う人間がそれぞれの人間性を短時間の間で披露することになったことです。
 
まずはウォレン.ビーティの行動。彼の役目は単にカードに書かれている映画名を発表するだけのこと。それが「おかしい?」と判断した時点で、あわてもせず視聴者にジョークと思わせるくらい冷静にショーを進め、ついには何も知らないダナウェイに振ったというわけ。ここまでくれば時間の関係でダナウェイは映画の題名だけを見て発表することになりました。
 
ところがアカデミー賞の開票から発表の経過に至っては政治の選挙と同じくに厳しい秘密を維持しています。それでも万が一、発表が間違っている時は上記の2人が(世界で発表前に結果を知るただふたり)、間違いを正すことになっています。それが今回実際に起こったのです。彼らは直ちに関係者に通告。こうして「ラ.ラ.ランド」のプロデューサーが、すぐに上記のスピーチで「ムーンライト」が賞を取ったことを告げます。
 
このプロデューサーが咄嗟にとった行動は素晴らしいものでした。せっかく手にしたトロフィーを「ムーンライト」のプロデューサーに渡し、祝福します。この場合、彼は「発表後のことだから、今はこのまま賞をもらっておき、後で主催者の決断に従えばいい」とそのままにしておくこともできたはず。間違いを知ってから、彼の発表まで数秒間です。彼には間違いを知っていながらトロフィーを手にするような意識は始めからこれっぽっちもなかったと言えるでしょう。あっぱれです。映画製作者にしてみれば、欲しくて欲しくてたまらない賞です。彼らのゴールですから。
 
人間って、よくよく考えてとる行動も大切ですが、咄嗟の時にその人の本当の人間性が出るのではないでしょうか?ボーイスカウトのモットーと同じです。「Be Prepared.備えよ常に。」
何があってもうろたえず、咄嗟の時でも正しい判断が出来る人間になるよう常に自分を訓練すること。と、いつも自分に言い聞かせています。でもそれを実際に行動に出来る人を見ると感動します。
 
因みに、今回のこの最大の間違いは、単に封筒をウォレン.ビーティに渡した人(前述した監督者ふたりのうちのひとり)が間違った束から渡してしまったことが今日のニュースでわかりました。
 
 


2/27/2017

やっとスノードロップ。

日本から戻り、ずっとスノードロップのことが気になっていました。早く行かないと終わってしまう!特に冬は重たく暗い雲が空を覆う日が多いイギリスですが、完全に晴れの日を待っていたら今年はスノードロップに会うチャンスはないと思い、昨日ついに行って来ました。今年は近場でロンドン北のハートフォードシャーにあるBenington Lordship Gardensです。

ノルマン時代のお城の一部が残るこの個人のガーデンはお城の他にマナーハウスが建っていますが、過去に映画やテレビドラマのロケにも使われていて、アガサ.クリスティの「ポアロ」のロケも行われたとか。

入り口は12世紀のお城の一部。















お城だった時の堀にはすでに水はなく、その代りにスノードロップが一面に咲いています。
 
 
 

このガーデンはイベントがある時にのみオープンしています。それは特定の花が咲く時期に限られているようですがスノードロップは特に人気があり、小さなベニントンの村はこの日、お天気がすぐれていなかったにも拘わらず車がすき間なく駐車されていました。





さてスノードロップに戻りますが、このガーデンは200種類のスノードロップが咲いています。ほとんどがすでにフルに咲いていて、咲き始めの蕾が開きかかったころのスノードロップとはまた違った感じす。










初めて見た ‘Diggory’ という名のスノードロップの花びらは、織模様のある真っ白いリネンのテーブルクロスを思わせます。







スノードロップの他にはウィンター.アコナイト(写真)や、クロッカス、クリスマス.ローズも咲いていました。





村の教会の墓地にもシクラメンや、プリムローズが。
 
 

 
 この日特別にオープンされたヴィレッジホールでホームメードのクルミとコーヒーのケーキとお茶をいただいた後、春を体中で感じながら帰宅の途に就きました。
 
 
Benington Lordship Gardensで見られる沢山のスノードロップの個々の写真は下記から。


2/26/2017

被爆者の声

昨日のテレグラフ紙に付いてきた小冊子の中で「どうやって....原爆を生き抜くか(How to.....Survive an atomic bomb」という記事が載っていました。これは5月2日に出版発売される本「Veterans: Faces of World War Ⅱ   Sasha Maslow著 」からChisao Takeokaという女性の経験を語ったものです。





内容は若い頃に広島の工場で働いていて被爆したTakeokaさんの話です。看護師をしていて重傷を負った母親のこと、地獄の戦争は決して繰り返してはいけないことを世に広めるために平和活動者になったことなどが書かれています。

彼女は1960年にアメリカに行き、ニューヨークで原爆を発明した一人に会います。彼は原爆を投下することがどれだけすごい結果を引き起こすことになるかを予期していなかったと彼女に謝罪します。そういう彼自身も原爆投下以来平和活動家になっていました。

原爆に関しては今までも多くのメディアで取り上げられてきました。でも実際に経験した人の話からは一番強烈な刺激を受けます。目を背けたくなるような生々しい実情ばかりです。現在核拡散防止条約で認められている国はアメリカを始め5か国で、その他に認められてはいませんが核を保有する国は北朝鮮を含む少なくとも3か国、保有している可能性がある国も他にあります。

原爆の本当の恐ろしさは被爆した人にしかわかりません。Takaokaさんのような方々にこそ、原爆の恐ろしさを世界中に発信していただきたいです。そして唯一の被爆国としても(他にも報道されていない国があるかもしれませんが)日本には世界に向けてもっともっと原爆の実態を知らせてほしいと思います。

(英本文を読みたい方は http://www.telegraph.co.uk/women/life/survived-hiroshima-atomic-bomb/?WT.mc_id=tmg_share_em= )



2/20/2017

えっ? もうクロッカス?

今回日本から帰ってまずしなければならないこと。それはスノードロップを見に行くことでした。毎年スノードロップが春の訪れが真近であることを告げてくれます。そしてそれが終わると春。クロッカス、水仙、桜、ブルーベル....と、私の中ではだいたい順番が決っています。

ところが昨日、午後から陽がさしてきたので公園に散歩に行ったところ、クロッカスが満開!




スノードロップはどうなっちゃったのでしょう? 函館も雪が少なく、冬景色を期待して行った私は少々がっかり。「今度は五稜郭公園の桜を見に来てね。」と親戚に言われ、こちらに帰った途端に無性に日本の桜が恋しくなってしまいました。イギリスのガーデンももちろんいいけれど、日本の桜と紅葉もまた格別です。次回の帰国はその時期に合わせることにしましょうか。

そんなわけで、スノードロップに関しては少々焦り気味。早く見に行かなければ。

2/19/2017

日本から戻りました。

函館に4泊、東京に2泊という超スピーディーな日本滞在から数日前に戻りました。急に決まった出張でしたが家族や友人との時間も少し持てました。


さて今回の航空便は久々の全日空。何年か前にやはり全日空を利用した際に機内食をヴィーガンでお願いしたところ、全てサラダ。サラダは大好きですが全部サラダというのも....それで今回は新しく加わった「オリエンタル.ヴェジタリアン」の食事というのを予めお願いしておきました。






そしてドリンク時のスナックを見て驚きました。ヴェジタリアン、ハラールの人も、そしてグルーテンにアレルギーの人も安心して食べられることが大きく表示されています。今まで外国のエアラインでこのような表示をしてあるものは見かけましたが、東洋系では初めてです。ヴィーガンの表示のあるスナックが出されるのも時間の問題と感じました。





ということで、全日空の食事はとても美味しかったです。というのは今回の日本滞在で、妹たちが作ってくれた料理、いつも行く函館のレストランでのトルコ料理、妹の友人でメニューにない料理を提供してくれたレストラン以外の食事は単に「おなかを満たすためのもの」。最後に泊まったホテルもヴィーガンどころかヴェジタリアン料理もなし。売店で何かを買おうとしましたが、おにぎりは売り切れ、30種類くらいあると思われるカップ麺もどれひとつヴェジタリアン用はなし。まあ、急に決まって、しかも東京で急激に増えだしたというヴィーガン料理のレストランに行く時間もなく、今回は我慢しました。

こちらでは飛行機を予約する時はユダヤの人はコーシャ料理、イスラム教の人はハラール料理などの機内食も予約します。その他アレルギーの人にも選択があります。これほどまでに食に関しての文化や好みが違う人が飛行機を利用する時代になりましたものね。航空会社も大変です。これから全日空もJALも色々な食生活をしている人のニーズに合わせておいしい和食を提供してくれることでしょう。楽しみです。

2/05/2017

トランプ大統領の影響

息子のお嫁さんはアメリカ人です。選挙の時は、国外で投票ができるよう毎回随分前から手続きをします。

さて、今回の大統領選ももちろんイギリスで投票しました。選挙前から彼女の家族、親せき、友人は当然ながら相当興味を持っていて、特にトランプ新大統領が就任してからは思いもよらないことが起こっています。仕事を休んでトランプ大統領の政策に抗議するデモに参加するのはまだマイルドな方で、中には婚約者とトランプに投票するかクリントンに投票するかで真っ向から対立。結局婚約破棄まで行った友人もいるとか。


ロンドンでもトランプ大統領のイギリスへの公式訪問や、移民政策に対するデモが行われました。



 
 
 
 

Brexitにしても、アメリカの大統領選挙にしても、多くのひとが期待していたのとは逆の結果になったかもしれませんが「やり直し」がきくわけでもないし。結果は結果として受け止め、これからが大事です。ひとりの力ではできないことでも、同じ意見を持ったひとが多く集まれば政治が偏った方向に向かうのを少しでも防ぐことができるのではないでしょうか?

8日から急に日本に帰ることになりました。今回は一週間と言う短い滞在です。






















2/02/2017

イギリスから傘が消えた!

私がこの国に来た頃はまだ金融街で山高帽をかぶり、ストライプのスーツを着て傘を持った英国紳士をたまに見かけました。 お天気が良くて雨は降りそうもないのに、それでも傘を持って歩いていました。「ロンドンの霧」同様、今ではそういう出で立ちの紳士にお目にかかることがなくなってしまいましたが。

さて、傘の英語‘umbrella’は実はラテン語の‘umbra’からきていて「小さな陰」という意味です。つまり傘はもともと「日よけ」として使われていたことがわかります。それが雨の多いイギリスでは雨よけに使われだしたことは当然の成り行きだったでしょう。でもそれも長い傘の歴史の中では(エジプト、ギリシャ、中国などでは紀元前からあった)ごく最近のことです。中世のイギリスでは雨の時は帽子や上着で濡れるのを防いでいました。傘は相当な贅沢品で、しかも18世紀までは女性だけ。男性には関係のないものだったようです。

ヨーロッパで初めて傘を使いだした男性はイギリス人でジョナス.ハンウェイ(1712~1786)と言われています。商人として外国の貿易に携わった後、晩年は慈善家としても知られるようになり、ウェストミンスター寺院には彼の記念碑もあるくらいの人でした。





「男のくせに」という冷たい目もなんのその。彼は女性的な傘を男性的に変え、どっしりした傘をどこに行くにも持ち歩いていました。その結果、逆に「カッコいい」ということになり、‘男性と傘’の関係が生まれます。これがついには、英国紳士のアクセサリーとしてなくてはならないものになったというわけです。

 
周囲の嘲笑のまなざしもなんのその。






それがだんだん「素敵な紳士」という評判に。



 

ファッションってそんなもんですよね。誰かが思い切って始めることから生まれるものではないでしうか?昔は5キロもあった重たい傘はJames Foxが発明したスチールの柄でかなり軽く持ちやすくなりました(今でもFox 社の傘はイギリスでは有名)。植民地からの安い材料で傘の値段もお手頃になってきます。使っていない時の当時の傘の持ち方は柄の真ん中を持ってハンドルを下に向けていたそうです。今ではハンドルを腕にかけて持ち歩いている人が多いですね。それもマナーに細かい人は、ハンドルを腕の内側からかけます。 そうすることによって、傘が濡れている場合は水が周りの人にではなく自分につくからだそうです。本能的に「自分が濡れないように」と外側からハンドルをかけていた私は非常に反省したのでありました。


尤も、今では折り畳みの傘のほうが一般的になってしまいましたが。でも今でもホテルに備えられている傘などはしっかりした昔ながらの傘ばかりです。






因みに、世界中の傘のほとんどを製造している国は? そうです。中国。ある町には1000もの傘製作所があるそうです。以前ナショナルギャラリーで買ったモネの「水連」の傘も中国製でした。

さて、先日地下鉄を出た時に意外なことに気が付きました。小雨が降っていたにもかわらず、皆傘をさしていません。そういう私も帽子をかぶっているだけ。そういえば前回傘を使ったのはいつだったでしょう?









「イギリス人と傘」というのが当たり前のイメージであったにもかかわらず、イギリスから傘が消えた? 以前はロンドン観光の仕事が多く、バスの乗り降りも頻繁でした。そのたびにお客様から「雨は降るでしょうか?」「傘を持っていったほうがいいでしょうか?」と質問を受けました。日本の方は雨に濡れるのがいやです。少しでもパラッと雨が降り出すとすぐに傘をさしていました。

イギリスの習慣が時と共に変わってきたのは何故でしょう?私の場合は単に傘を持ち歩くこと、傘をさすことがめんどうという理由からですが、これもファッションに関係あるのでしょうか?傘は流行遅れ?

イギリスから傘が消えてしまうことはなんとも淋しいことです。