2/23/2015

再びスノードロップに誘われて。

語学留学で一年のロンドン生活を送られ、近々日本に帰国されるMさんをスノードロップのドライブにお誘いしました。今度はちょっと遠出してコッツウォルズの町チェルテナムに近いコールズボーン.パークです。パークと言ってもそこは公園ではなく1789年からエルウェス家が所有する土地で、特にスノードロップのコレクションが有名です。それは1871年、ヘンリー.ジョン.エルウェスがトルコから持ち帰ったスノードロップに始まります。そのスノードロップは‘ガランサス.エルウェスィ’と名付けられました。

今見るスノードロップは1891年からヘンリー.ジョン.エルウェスが亡くなる1922年の間に植えられたものに、現在荘園を所有するヘンリー.エルウェス夫妻が珍しい品種を加えたもので、敷地はスノードロップが咲く時期に週末のみオープンしています。









 
 
ところどころにシクラメンやウィンター.アコナイトも咲いていました。







犬を連れた人も多く見かけました。
 
 

 





敷地内にあるセント.ジェイムズ教会は900年もの間村の人たちによって使われてきた教会ですが、その頃のノルマン時代のものは内部の柱くらいしか残っていません。





スノードロップを見ながら歩いていたら、大きなケーキを持った女性を時々見かけました。どこに持って行くのでしょう?と不思議に思っていましたが、お茶の時間になってわかりました。

スノードロップの時期、ここではチャリティのためのティーショップが設けられます。彼女たちが持っていたケーキは実はこのティーショップのためのものだったのです。どこのティーショップでも見たことのない大勢のケーキたちのオンパレードです。しかも奥の部屋のテーブルには更に多くのケーキが並んでいます。先ほど見かけたご婦人たちは次から次へとそのテーブルに自分たちのケーキを置いていきます。







ホームメイドのケーキの素朴な味にほっとしながら一休み。ケーキに紅茶、またはコーヒー付きで3ポンドというお手頃な料金。作る人もボランティアならウェイトレス、レジの人も全てボランティアです。集まったお金は全て‘Cotswold Downs Syndrome Group’というダウン症の子供を持つ親たちによって設立されたサポートグループに寄付されます。




一緒に行ったMさんにとって、日本に帰られる直前に見たスノードロップの白さとおいしいケーキ、そしてイギリスに見るチャリティ精神の神髄はきっとこれからもずっと記憶に残ることと思います。私もコールズボーン.パークに行ったのは初めてでしたが絶対にまた訪れたいところの一つになりました。

2/19/2015

イギリスっておもしろい国

イギリスという国は知れば知るほど「おもしろい国だなー」と思います。そして、それは「えっ?こんなところにこんな物がまだ残ってるの?」と思う時に一層強く感じます。先日ブログに書いたガス灯もそうですが、今は使っていないもの、またはあっても実際には何の役目も果たしていないものなどがあちらこちらにあるのです。

日本では「使わないものはスッキリさせるために処分しましょう。」という文化です。イギリスは「使っていないものでも、たいして邪魔にならなければそのままにしておこう」という文化です。だから古いものが沢山残っているのだと思います。別に「古いものだからとっておこう」とか、「いずれ珍しいものになるかもしれないからとっておこう」といったように意識的に残しているのではないと思います。

先日英国一古いワイン商であるベリー.ブラザーズ&ラッドへ行ってきました。それは手作りの靴を作る老舗ジョン.ロブや、帽子の老舗ロックなどが揃った、バッキンガム宮殿に近いセント.ジェイムズ通りにあります。




さて、このワイン商のお店の看板をご覧ください。ワインには何の関係もないコーヒーミルの看板です。何故これがワイン商の看板になっているのか?それはベリー.ブラザーズ&ラッドは1698年にコーヒーを売る食料品店から始まりその時の看板と同じデザインの看板が、同じ場所にそのままぶら下がっているからです。写真を見てもおわかりのように、店頭のウィンドウの部分やドアは何度も何度も上塗りされたペンキの層が、デコボコしている鉄のように硬くなっています。






中に入って驚くのは、ワインがちょこっとしかないこと! 昨年できて商品が並べられている隣の二部屋を除けば、メインの部分は全くお店という雰囲気ではありません。そしてなんとワインの代わりに大きな秤が置かれています。多分昔コーヒーなどを扱っていた頃のものでしょう。

体重を計ることがファッショナブルだった時代、裕福な人たちはここで体重を計っていたとか。
 






顧客の体重の記録は何冊もの記録帖に今でもちゃんと残っています。近年には日本のおすもうさんもやってきたとか。136キロという数字が記録にちゃんと記されています。

それにしても「自分の体重だけは歴史に残したくない」と思うのは私だけでしょうか?







ではワインはどこにあるかと言いますと、それは地下です。そこには17000本が眠っているとか。この他に数か所に分かれた倉庫には数百万本のワインが保管されているというから驚きです。セント.ジェイムズ通りの地下には‘非売品’である100年以上前の埃に覆われたワインもあります。ミュージアムのようにそのまま永久保存されるのかと思いきや、会長さんの了承のもとに特別なチャリテーディナーなどで出されることもあるそうです。





もちろんここではベリーブラザーズ&ラッドのブランドのワインが人気です。人数が集まればワインテイスティングも可能です。




ラベルにも王室御用達の証拠である女王とチャールズ皇太子の紋章が描かれています。




ウィスキーで有名なカティーサークも実は1923年にベリー.ブラザーズ&ラッドで生まれたものです(2010年にエドリングトン.グループに売却)。印刷屋が間違って刷ってしまったという黄色のラベルは今でも変わりません。(本当はもっとクリーム系の色にするつもりだったとか)





1903年のある寒い日、当時のエドワード7世(ビクトリア女王の息子)の主治医に「王のために寒さを和らげる飲み物をつくるように。」と命じられ出来上がったのがブランデーと生姜のコーディアルでした。これが今ではベリー.ブラザーズのシグネチャー商品のひとつにもなっている‘キングズ.ジンジャー.リキュール’です。






実におもしろい話がたくさん詰まったベリー.ブラザーズ&ラッド。私は、ずいぶん昔、妹の結婚祝いに何か特別なものをプレゼントしたくて、ポート好きの相手に(‘これから妹をよろしく’と半分賄賂?)、ベリー.ブラザーズ&ラッドで年代物のポートを選んでもらいました。その時の買い物の楽しかったこと。「これがイギリス式、本当のサービス!」と感激したものです。ですから日本からの旅行者にも、そういう特別な体験をしてイギリスのお土産を買っていただけたら素晴らしいと思います。今話題のイングリッシュワインもあります。日本のお酒も地下に数種類見かけました。ワインは10ポンドくらいから買えます。

現会長のサイモン.ベリー氏(左)と店長のフランシス氏です。




ベリー.ブラザーズ&ラッドに興味のある方は是非この本もお求めください。





ベリー.ブラザーズ&ラッドは日本にも支店があるそうですから次回帰国の際は是非訪れてみようと思います。本店と同じサービスが受けられるかも?

www.bbr.com
www.bbr.co.jp























 

2/15/2015

スティーヴン.ホーキングとキャロル.キングと、そして福本清三と。

最近、素晴らしい映画、ミュージカル、DVDを3本立て続けに見ました。良いものを見たり聞いたりすると心に余韻がしばらく残り、一日何回も思い出してはその興奮が蘇ってきています。

まずは、映画‘The Theory of Everything’です。日本の題名は‘博士と彼女のセオリー’です。世界的に有名な物理学者スティーヴン.ホーキング博士が「筋委縮性側索硬化症」で余命2年の宣告をされながらも、ジェインは彼との学生結婚を決意。発症から5年以内に死に至ると言われている病気ですが、50年以上経った今でも車椅子で、コンピューターによる合成音声を利用して講義をしているというホーキング博士の人生の中でも、この映画はジェインとの美しい愛を描いた作品です。

日本では3月ごろに上映開始と聞いています。主役のエディ.レッドメインは映画ヴァージョンの‘レ.ミゼラブル’で一躍有名になった俳優ですが今回の演技は特に素晴らしく、つい最近BAFTA(英国アカデミー賞)の主演男優最優秀賞(同じく最優秀作品賞、最優秀イギリス映画賞も獲得)に選ばれました。

因みにエディ.レッドメインはイートン校時代ウィリアム王子の学友でした。卒業後、ウィリアムはセント.アンドリュース大学に進み、ケイト妃と出会いましたが、レッドメインのほうはケンブリッジ大学に進み、そこで教授をしていたホーキング博士役でBAFTAを獲得したのです。




私は物理のことは何もわかりません。一体宇宙はどこまで続いているのか?天国はあるのか?地球はどういう形で終わるのか?この映画が伝えることは物理学のことではなく、余命2年と言われながら50年以上経った今でも世界に注目されるホーキング博士と、元妻ジェインとの(26年後に離婚)愛です。

次はミュージカルです。題名は‘ビューティフル(Beautiful)’。アメリカの女性シング.ソングライターであるキャロル.キングの物語をミュージカルにしたものです。特に1970年代に出された‘タペストリー’は全米アルバムチャートでは15週連続1位にとどまるほどの人気を持ち、日本でもコンサートを開いたり、五輪真弓さんとのコラボでも知られています。




‘Will You Love Me Tomorrow ’ ‘So Far Away’ ‘ It's Too Late’ ‘You've Got A Friend’ など懐かしい曲が次から次へと出てきます。そしてキャロル.キング役を始め、俳優が皆素晴らしく見甲斐のあるミュージカルでした。早速このミュージカルのCDを買って毎日聴いています。

観客は私たちも含め年配が多いことに気がつきました。皆、舞台にくぎ付けで曲に合わせて体を揺すっています。心の中は完全に40年前の若かった時代に戻っているようです。そして終わった時は皆総立ちで拍手。「良かった!」という口笛が止みません。終わって劇場を出る時はけっこう若い人たちも見かけたので安心(?)。若い人でも絶対に聴いたことがある曲ばかりでしたから、時代を問わず音楽好きの息子に是非進めたいと思います。

そして最後はDVDです。主人が絶対に欲しいと言っていたDVDを友人が日本から送ってくれました。題名は‘太秦ライムライト’です。「5万回斬られた男 福本清三 初主演作」と書かれています。この映画を見ると斬られ役の技術を修得することがいかに難しいかがよくわかります。日本の時代劇を見ると、チャンバラ場面は主役やメインの俳優にばかり目が行きます。でもこの映画を見ると、今まで気が付かなかった斬られ役の演技が正にアートであることに気が付きます。主人は、これを見たすぐ後で‘ラストサムライ’のDVDを見ていました。彼にとって今度はトム.クルーズではなく福本清三が主演でした。




良いものを見たり、聞いたりした後は、気持ちがいいものです。今日は日曜日。なんとなく良い映画を見たい気持ちになってきました。仕事もほどほどにして、ずっと昔に買ったDVDを引っ張り出してきて映画鑑賞の日にしようと思います。

2/11/2015

ビッグベンのこと。

「世界で一番有名な時計」と言われるほど人々に親しまれている‘ビッグベン’。ところが「ビッグベンって一体何?」と聞かれればイギリス人でも答えに困ってしまいます。国会議事堂の事?議事堂の建物の一部である塔の名前?上に付いている時計の名前?




正確には‘Big Ben’とは、塔(エリザベス.タワー)の中に入っている鐘の名前です。公式名はThe Great Bellですが、誰もそう呼びません。ニックネームの‘ビッグベン’はこの鐘が作られた時の工事委員であったベンジャミン.ホールという体がとても大きかった人に由来すると言われます。ですから「大きなベン」なのです。もっとも、今では‘ビッグベン’イコール‘時計’と言っても間違いとは見做されないようです。

1859年に完成してから今まで、毎時毎に時報を告げるビッグベンの重さはなんと13,7トンもあります。それを打つハンマーでさえ200キロ。

15分ごとに鳴るチャイムは‘ウェストミンスターチャイム’と呼ばれています。♪ キンコンカンコーン~カンコンキンコーン ♪ という学校で使われるあのチャイムです。でもこれはビッグベンが鳴っているのではありません。ビッグベンの鐘は一時間ごとに、そしてウェストミンスターチャイムが鳴り終わってしばらくすると聞こえます。この鐘の音を聞くたびに思い出すのは日本の除夜の鐘です。それは‘ゴーン、ゴーン’とお腹に沁みる低い音です。昔、霧の濃かった時代のロンドンでこの鐘を聴いたらきっと、感激したことでしょうね。そういう光景にはぴったりの鐘の音です。最近は風の向きや、議事堂前の広場の交通の音であまりはっきり聞こえないこともありますが、それでも近くに行けば大丈夫。




私がガイドする際は、この鐘を聴くために時間を合わせることはめったにしませんが、たまたま10分くらい前にここを通る場合は、なるべくこの鐘の音をお客様に聴いていただくようにしています。

エリザベス.タワーの四方についている時計の部分も実は大変大きなもので、一枚が312枚のガラスで出来ていて、分針の長さは4,2メートル、重さは100キロです。時針に至っては300キロもあるのですから、正確な間隔で動くことすら奇跡です。よく落ちてこないなーといつも思います。

そして大変なのは、イギリスはサマータイムになったりグリニッジ標準時になったり毎年2回時間がずれること。それも時間が変わる日は毎年違いますから、人間の手が必要なのです。この日は分刻みで準備、作業をしなければいけないようです。これを担当している人には大きな勲章を授けたいと思います!なんでもコンピューターに頼った世の中になってしまいました。コンピューターがダウンして飛行機の発着に影響があり、そのためにM4の高速道路が渋滞したこともあります。ホテルにチェックインする際に「コンピューターがダウンしていて、チェックインができません。しばらく待ってください。」と言われたことも一度や二度ではありません。

そんな時代ですが、世界一有名な時を告げるビッグベン(誤差は1秒以内だそうです)が鳴る時間を決める操作はいまだに人間の手でしなくてはいけません。週に3回ねじを巻いたり、振り子にコインを載せてその速度を調節したりです。

国会議事堂のある建物はウェストミンスター宮殿と呼ばれます。ここは長い間イギリスの民主主義議会制度の中心であったところです。ユネスコの世界遺産にも登録されている建物で、ヴィクトリアンゴシック建築の部分がほとんどですが、11世紀に建てられた部分(ウェストミンスター.ホール)も残っています。今年はマグナカルタ(大憲章)がジョン王によって調印されてから800年の年ですから国中で色々な展示会やイベントが行われています。

因みにビッグベンをいつもみているのがウィンストン.チャーチルの銅像です。




今年はチャーチルが亡くなってから50年の年に当たるので、この方も特別出版物を含め多数の商品が店頭に飾られていますし、チャーチルに関係のある建物ではイベントも行われています。



2/08/2015

スノードロップとベニングトンの村

ハートフォードシャー州に行く用事があったので、ベニングトン.ロードシップという昔はマナーハウスだった館の庭に寄ってスノードロップを見てきました。ロンドンではすっかり溶けてしまった雪も、ここではところどころに残っています。遠くから「スノードロップ!」と思って近づくと雪だったりして。


ここはサクソン時代から砦があったところでマーシア王国の王たちの王宮でしたが、今残る門のような建物は1138年にウィリアム征服王の甥の息子によって建てられた砦の一部です。やはりノルマン時代に創られた堀の土手にスノードロップが咲いています。
 








‘雪より白い!’ と感動するのは、いつもその年で一番最初に見るスノードロップです。







 
 
スノードロップと一緒に咲いている黄色の花は、ウィンター.アコナイトでキンポウゲの家族です。
 
 
 
 
 
 
また同じ時期にはクリスマスローズもよく見かけますね。
 
 
 
 
そして見つけたのが梅の蕾。もう春がすぐそこまで来ています。
 
 
 
 
現在の館は1744年に建てられたものです。(内部は非公開)
 
 
 
 
1838年に建てられたサマーハウスです。
 
 
 
 
7エーカーのガーデンは30分くらいの散歩には
ちょうど良い広さです。
 
 
 
 
 
 
Benington Lordshipには初めて訪れましたがBenington の村はずーっと前にちょこっとだけ訪れたことがあります。正に「イギリス!」と思わせる村で ‘ゆっくり訪れたい村’ のひとつでした。村の人口は1000人。でもこの日もスノードロップを見に来た人、ウォーキングに来た人以外はほとんど村に住む人が歩いている姿さえ見かけませんでした。静かな村です。
 
 
 
 
 
現在のセント.ピーターズ教会は13世紀の終わりから14世紀の初めにかけて建てられました。
 
 
 
 
 
スノードロップは今月いっぱいはイギリス中あちこちで咲いています。次回は少し遠出してみるつもりです。
 
 
 

2/06/2015

イギリス王室


下の写真はHousehold Cavalryといって女王のボディガードである騎兵連隊です。イギリスの高等陸軍部隊の一部で、2つの連隊から構成されています。この写真の濃いブルーのマントを着た連隊はBlues & Royalsと呼ばれ、もう一つの赤いマントを着た連隊はQueen's Life Guardsと呼ばれています。






前回はイギリスの王室の事にちょっと触れましたが、私はガイドをする際に時々イギリス王室の話をします。ツアーなどで長距離を移動する時などはたっぷり時間がありますから、そういう時間を利用します。イギリスの王室の歴史はドラマになるくらいおもしろく、実際映画やテレビドラマ、そしていつの時代でも特定の君主に関する本が出版されています。

日本の皇室と違うところは沢山あります。一番感じることは日本の皇室よりももっと身近に感じる存在であること。

イギリスは「言論の自由」を何よりも大切にする国です。ですからマスコミも勝手なことを書いています。信じるか信じないかは、個人個人が決めることです。‘ザ.サン’などのタブロイド誌に書かれているようなことは、私は真剣に受け止めることはしません。はっきり真実ではないとわかることも平気で書いていることもあります。

一番長い間、ゴシップの対象になるのがロイヤルファミリーですよね。映画スターや、ポップスターなどは数年経てばフィーバーが薄れて、小さなプライベートのことなんか誰も興味を示しません。ロイヤルファミリーは一生ですから。本当に気の毒です。何を言われてもじっと耐えているのですものね。ロイヤルファミリーだって人間ですから間違いはするはずです。そんなことをいちいち国中に発表されてしまうなんて。私は絶対にロイヤルファミリーにはなれないなー。

話はちょっと逸れてしまいますが私がイギリスに初めて来た時に通っていた英会話クラスの授業でのこと。いきなりアラブの国から来ていたクラスメートに「ヒロヒトは元気か?彼のことを詳しく知りたい。」と言われたことがあります。ヒロヒト?そんな友達いたかしら?それよりも、質問した彼と共通の知人なんているはずがない!と思い、咄嗟に出た言葉が ‘Who is Hirohito?’

これを聞いたクラスメートは、私の言葉に「信じられない!」と言った様子。目を真ん丸く開いてしばらく黙っていました。続いて出たのが、「ヒロヒトを知らないのか?本当にあなたは日本人なのか?」という言葉。私がどこかの国のスパイと思ったのかも?昭和天皇の名前が‘ヒロヒト’だったなんて、お恥ずかしながら当時は知りませんでした。その時は先生が助けてくれて一件落着。それでも天皇陛下を呼び捨てにすることは出来ませんでした。「‘ヒロヒト’なんて、馴れ馴れしく呼ばないでください。‘テンノウヘイカ’と呼んでください。」と言ったように記憶しています。

ダイアナ元皇太子妃が亡くなってから、イギリスの王室もずいぶん変わったように思います。ある程度の王室に関わる制度の改革が見直される時代になったということです。なんと言っても大きな変化は「お世継ぎは男でも女でも最初に生まれた子が第一王位継承権を持つ」という法律になったことでしょう。これも女王の提案と聞いています。

伝統を重んじる国でありながら時代に合わなかったり、支障のある制度はどんどん変えていくという合理性ももった国がイギリスです。

このように王室と国民の間の厚い壁がどんどん薄くなってきていることを感じます。ダイアナ妃が残してくれた最も大きなレガシーなのかもしれません。これから将来王室が存在するには、王族がいつも雲の上にいて国民との接点がなくなることを避けなければいけないということなのでしょう。‘男女平等が当たり前になっている現在の社会で「男だから」「女だから」という制度そのものが時代に遅れている’というのが国民のみならず女王の考えでもあったわけです。

「王室がこれから長く存在するにはどうすれば良いか」が、今のロイヤルファミリーにとって一番大きな課題だと思います。それは王室が、ヴィクトリア女王がアルバート公を亡くして国民の前から長い間姿を消した時に学んだことです。「君主は必要ない」と思う国民が増えた時です。あのままで行ったら、もしかしたら今イギリスは共和国になっていたかもしれません。(詳しくは映画‘Mrs. Brown'をご覧ください。)「いつも女王は国民と共にある」と私たちに感じさせてくれることが大切ということです。

先日おもしろい新聞記事を読みました。チャールズが女王から王位を引き継ぐことに関しての記事です。それは「チャールズが王になる準備ができているか?」ではなく、「国民がチャールズを王として受け入れる準備があるかどうか?」ということ。そうだなーと思いました。60年以上在位されているエリザベス女王の後を継ぐチャールズは、本当に大きな責任を背負っています。すぐにエリザベス女王と同じくらいの人気を獲得することは不可能でしょう。でも私はカミラと一緒にこの国を引っ張っていくチャールズに期待します。カミラは日本では人気がないと聞いています。日本のマスコミの報道の仕方にも問題があるかもしれません。

イギリスを影の力として支える王室が存在するには立派な君主が必要です。チャールズが立派な王になるにはカミラの力が必要です。これからのロイヤルファミリーにはカミラの存在が必要なのです。愛した女性のために王位を捨てたエドワード8世(現女王の叔父)が退位する際にラジオで国民に声明した言葉を思い出します。

「私は私の愛した女性の協力なしには立派な王になれないという結論に達しました。」

王、女王ほど内助の功が大切な夫婦っていないなーとつくづく思います。国民にとってカミラがどれだけ人気があるかどうかより、チャールズにとってカミラの力がどれだけ大切かを考えるとき、最愛の女性と結婚したチャールズの王としての将来も明るく見えます。

王室の事情、歴史を知れば知るほど、イギリスという国がよりはっきりと見えてくるでしょう。





2/05/2015

ウィリアム王子訪日に向けて ~ ケンジントン宮殿について

今月末にウィリアム王子(ケンブリッジ公爵)が訪日されるということで、最近 ‘ロイヤル’に関する仕事を何回かさせていただきました。その中でウィリアム王子(ケンブリッジ公爵)とキャサリン妃(ケンブリッジ公爵夫人)が公式の住まいとされているケンジントン宮殿へのご案内も含まれていました。




まず、ロイヤルファミリーの住居は一般に‘ロイヤル.レジデンス’と呼ばれています。その中でも‘ロイヤル.パレス’と呼ばれるものは英国君主の名においてトラストになっています。例えばバッキンガム宮殿やウィンザー城、ホーリールード宮殿(スコットランド)です。その他サンドリンガム宮殿や、バルモラル城(スコットランド)などは時代の君主に代々受け継がれ、王室がプライベートで所有しています。この他に、実際に使っていないロンドン塔やハンプトンコート宮殿といったようなロイヤル.パレスもあります。

ウィリアムとキャサリンの場合(日本ではロイヤルファミリーを呼び捨てにすることはないかもしれませんが、英国ではごく普通)、公式のお住まいはロンドンのケンジントン宮殿で、この他にプライベートの住居としてノーフォークのアンマー.ホールがあります。

さて、ケンジントン宮殿と言えば女王の妹君マーガレット王女(1930~2002)やケント公爵ご夫妻などのアパートがあり、見学できる部分と完全にプライベートの部分がはっきり分かれています。なんと言っても一番有名な住民だったのはダイアナ元皇太子妃でしょう。チャールズと別居後は王子たちとこの宮殿に住んでいました。ですからウィリアムにとっては、少年時代を過ごした懐かしい宮殿でもあったわけです。

1997年ダイアナ元皇太子妃が突然の事故死を遂げた直後、宮殿に続くゴールデンゲート付近は献花で埋め尽くされ、ついには大通りに続く芝生が全て花束や蝋燭で覆われた光景を覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。





ノッティンガム.ハウスを買い取って宮殿にしたのは、名誉革命後にイギリスにやってきて王座についたジェームズ2世の娘メアリーと夫のウィリアムです。喘息気味のウィリアム(下の写真のゴールデンゲートの中の銅像)のために、ロンドン中心にあり空気の汚れたホワイトホール宮殿から郊外に(今こそケンジントン地域は中心ですが、その当時は建物も少ない田舎だった)移り住んでのは1689年のことでした。


 
 
またケンジントン宮殿はヴィクトリア女王に最も関係のある宮殿のひとつです。
 
1819年にこの宮殿で生まれたという事実は正確ではないかもしれません。でも幼少時代を過ごしたことは間違いありません。映画‘Young Victoria’の中でも表されているように厳しい決まりは(‘ケンジントン.システム’と呼ばれるこの決まりは、ヴィクトリアの母、そしてその恋人のジョン.コンロイ卿によって、女王になった際のヴィクトリアのポジションを自分たちに都合の良いように利用する目的のために作られた)、一時ともひとりでいることを禁じるなどヴィクトリアの自由、意志を完全に無視したものでした。
 
 
 
 
女王になったヴィクトリアがまず行なったことは母とコンロイ卿を追放することでした。あっぱれ、ヴィクトリア!
 
また、最愛の夫アルバートとの出会いの場もケンジントン宮殿でした。
 
 
 
 
 
ここでとてもかわいらしいサインに出会いました!トイレのサインです。こんなのを見たら、別に使うつもりはなくても引き込まれていきそう!
 
 
 




ウィリアム王子の訪日で、日本での英国への興味がもっともっと広がることを期待しています。


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後藤健二さんがテログループによって殺害されたニュースを聞き、いただまれない気持ちになりました。「本人に是非帰ってきてほしい、そして現地の実情を話してほしい」と期待していましたが、いまとなってはそれは不可能になりました。本心から平和を願う方だったと思います。日本の報道で彼が「何かあった時に神と共にいたい。」とクリスチャンになったことも知りました。

お母様のインタビューもまた心に沁みました。「本人の意思を忘れることなく生きる」ということ。そして「憎しみが連鎖しないように願う」という言葉。勇気を感じました。憎しみから生まれるものは何もありません。憎しみという感情で解決できることはありません。今のご本人は感情で占領されているはずなのに、このような言葉が出ることに人間を超えたものさえ感じます。

それに比べ、殺人直後の阿部首相のインタビューには落胆させられました。 

「絶対に許さない。」

世界中の人が注目している中、一国の首相としてもっと冷静に選んだ言葉を使ってほしかったと思います。せめてそれが無理であったら、他の同じような事件を経験した国の大統領なり、首相なりと同じように「残された家族のことを思う」とか、せいぜい感情としては「憤りを感じる」くらいにしておいてほしかったと思います。

「絶対に許せない」と言ったところで一体何になるのでしょう?