12/05/2014

エドワード.バッチセンター

友人と一緒にフラワーレメディのパイオニアであるエドワード.バッチが住んだ家で現在は教育センターになっているバッチセンターに行ってきました。ここは花の時期は訪問客が多いのですが、こんなに静かな時に行ったのは初めて。お客は私たちだけでした。庭仕事をしていた女性が笑顔で迎えてくれました。


 
 
 
 
 
 
ここはエドワード.バッチがその短い生涯の晩年を過ごした家です。玄関は閉まっていますが、閉館ではありません。玄関の呼び鈴を押して中に入れていただくシステムです。
 
「エドワード.バッチ博士は医学士、理学士、外科医、内科医、公衆衛生医、ホメオパスとして生涯を癒しの探求に捧げました。.... 博士(1886~1936)は、時代に先駆けた考えをもった医師でした。....若いころから、バッチ博士は人々の性格や心のあり方が健康状態に影響を与えていることに気づいていました。医学生としても、博士は患者の症状よりも患者個人に関心を向けており、早い時期から、病気においては人格(パーソナリティ)つまりどういう人であるかが症状より重要で、医学的な治療もその点が考慮されるべきと考えました。....1928年のある夕食会で、バッチ博士にはある考えがひらめきました。集まった人を眺めていて、そのゲストたちはいくつかのタイプに分けられるということに気付いたのです。このことから、タイプや性格によってそれぞれある特定な病気に対する反応の仕方をするという結論に達しました。.....1930年の春に、バッチ博士は43歳で自分の研究所や診療所を閉じ、自然の中にレメディを求めて、ウェールズを訪れました。早朝、露のおりた野原を歩いていた博士は、朝露は太陽の光で熱せられて植物の癒しの成分をとりこんでいるのだと思いつきました。このことからインスピレーションを得て、博士は清らかな水を使ってレメディを作る方法を開発しました。.....」
 
 
バッチ博士がコンサルタントルームとして使っていた部屋は、当時のまま残されています。彼の使ったタイプライター、自らの手で作ったひじか肘掛け椅子には相当使われた跡が残っています。
 

 
 
 
 
 
見学していると先ほど庭仕事をしていた女性が「お茶はいかがですか?」とラズベリーのお茶をお盆に載せてきてくださいました。
 
 
 
 
小さな家なので、見学できるお部屋は2部屋だけですが、バッチ博士の存在はそれだけでも十分伝わります。
 
 
 
 
 
 
 
 
「博士は、研究と講演を続け、研究を進めるために助手たちの訓練も行いました。38種類のレメディとレスキューレメディを開発した時点で、それ以上のレメディは必要ないということがわかりました。38種類のレメディは人間のあらゆる側面をカバーし、従って病気のもととなるネガティブな精神状態すべてに対応します。....」
 
この国ではエドワード.バッチが開発した38種類のレメディから作られたもののいくつかは、ほとんどの薬局、またほとんどの大きなスーパーマーケットで売られています。
 
私は、眠られない時や、翌日大事なことがある夜はレスキューナイトを常用しています。
 
 
 
 

日本でもエドワード.バッチ博士のレメディを研究している人、コンサルタントをしている人がいらっしゃるそうです。

「レメディは医学的な治療にとって代わるものではないということを、しっかり覚えておくことが大事です。.......レメディは単独で使うことも、医学的な治療やその他の療法と併用することもでき、薬との併用もその効果を妨げません。レメディは完全に安全で、副作用もありません。穏やかな作用をもち、年齢を問わず新生児からお年寄りまで安心して使うことができます。動物や植物も、レメディの恩恵を得られます....」

これを読んだ時、私は虐待されて人間への信頼を完全に失っていた犬のアンバーを飼っていました。すぐにアンバーのパーソナリティを知らせてレメディを処方してもらいましたが、それを試す前に亡くなってしまいました。

こうして友人と訪れたバッチセンターで再び大きなエネルギーをいただいたようにいい気分で帰路につきました。

上の括弧内の分は全てセンターでいただいた日本語の小さな本「38種のフラワーレメディ」から抜粋したものです。