2/05/2017

トランプ大統領の影響

息子のお嫁さんはアメリカ人です。選挙の時は、国外で投票ができるよう毎回随分前から手続きをします。

さて、今回の大統領選ももちろんイギリスで投票しました。選挙前から彼女の家族、親せき、友人は当然ながら相当興味を持っていて、特にトランプ新大統領が就任してからは思いもよらないことが起こっています。仕事を休んでトランプ大統領の政策に抗議するデモに参加するのはまだマイルドな方で、中には婚約者とトランプに投票するかクリントンに投票するかで真っ向から対立。結局婚約破棄まで行った友人もいるとか。


ロンドンでもトランプ大統領のイギリスへの公式訪問や、移民政策に対するデモが行われました。



 
 
 
 

Brexitにしても、アメリカの大統領選挙にしても、多くのひとが期待していたのとは逆の結果になったかもしれませんが「やり直し」がきくわけでもないし。結果は結果として受け止め、これからが大事です。ひとりの力ではできないことでも、同じ意見を持ったひとが多く集まれば政治が偏った方向に向かうのを少しでも防ぐことができるのではないでしょうか?

8日から急に日本に帰ることになりました。今回は一週間と言う短い滞在です。






















2/02/2017

イギリスから傘が消えた!

私がこの国に来た頃はまだ金融街で山高帽をかぶり、ストライプのスーツを着て傘を持った英国紳士をたまに見かけました。 お天気が良くて雨は降りそうもないのに、それでも傘を持って歩いていました。「ロンドンの霧」同様、今ではそういう出で立ちの紳士にお目にかかることがなくなってしまいましたが。

さて、傘の英語‘umbrella’は実はラテン語の‘umbra’からきていて「小さな陰」という意味です。つまり傘はもともと「日よけ」として使われていたことがわかります。それが雨の多いイギリスでは雨よけに使われだしたことは当然の成り行きだったでしょう。でもそれも長い傘の歴史の中では(エジプト、ギリシャ、中国などでは紀元前からあった)ごく最近のことです。中世のイギリスでは雨の時は帽子や上着で濡れるのを防いでいました。傘は相当な贅沢品で、しかも18世紀までは女性だけ。男性には関係のないものだったようです。

ヨーロッパで初めて傘を使いだした男性はイギリス人でジョナス.ハンウェイ(1712~1786)と言われています。商人として外国の貿易に携わった後、晩年は慈善家としても知られるようになり、ウェストミンスター寺院には彼の記念碑もあるくらいの人でした。





「男のくせに」という冷たい目もなんのその。彼は女性的な傘を男性的に変え、どっしりした傘をどこに行くにも持ち歩いていました。その結果、逆に「カッコいい」ということになり、‘男性と傘’の関係が生まれます。これがついには、英国紳士のアクセサリーとしてなくてはならないものになったというわけです。

 
周囲の嘲笑のまなざしもなんのその。






それがだんだん「素敵な紳士」という評判に。



 

ファッションってそんなもんですよね。誰かが思い切って始めることから生まれるものではないでしうか?昔は5キロもあった重たい傘はJames Foxが発明したスチールの柄でかなり軽く持ちやすくなりました(今でもFox 社の傘はイギリスでは有名)。植民地からの安い材料で傘の値段もお手頃になってきます。使っていない時の当時の傘の持ち方は柄の真ん中を持ってハンドルを下に向けていたそうです。今ではハンドルを腕にかけて持ち歩いている人が多いですね。それもマナーに細かい人は、ハンドルを腕の内側からかけます。 そうすることによって、傘が濡れている場合は水が周りの人にではなく自分につくからだそうです。本能的に「自分が濡れないように」と外側からハンドルをかけていた私は非常に反省したのでありました。


尤も、今では折り畳みの傘のほうが一般的になってしまいましたが。でも今でもホテルに備えられている傘などはしっかりした昔ながらの傘ばかりです。






因みに、世界中の傘のほとんどを製造している国は? そうです。中国。ある町には1000もの傘製作所があるそうです。以前ナショナルギャラリーで買ったモネの「水連」の傘も中国製でした。

さて、先日地下鉄を出た時に意外なことに気が付きました。小雨が降っていたにもかわらず、皆傘をさしていません。そういう私も帽子をかぶっているだけ。そういえば前回傘を使ったのはいつだったでしょう?









「イギリス人と傘」というのが当たり前のイメージであったにもかかわらず、イギリスから傘が消えた? 以前はロンドン観光の仕事が多く、バスの乗り降りも頻繁でした。そのたびにお客様から「雨は降るでしょうか?」「傘を持っていったほうがいいでしょうか?」と質問を受けました。日本の方は雨に濡れるのがいやです。少しでもパラッと雨が降り出すとすぐに傘をさしていました。

イギリスの習慣が時と共に変わってきたのは何故でしょう?私の場合は単に傘を持ち歩くこと、傘をさすことがめんどうという理由からですが、これもファッションに関係あるのでしょうか?傘は流行遅れ?

イギリスから傘が消えてしまうことはなんとも淋しいことです。

1/30/2017

数日中に100万人以上の署名。

イギリスのメイ首相がトランプ新大統領を訪問し英米首脳会談が行われてから3日経った今日。この数日間の間に世界のあちこちで反トランプ派のデモがおこなわれています。 テロ行為を言い訳にトランプ大統領の取った移民政策で、特にイスラム教が多数を占める七国からのアメリカへの渡航者の入国を拒絶し始め、それ以外の国からの入国ももっと厳重に取り締まると発表しました。それらの国で生まれたというだけで、アメリカに住む権利を持つ人でさえ、入国を拒否されています。それに反対する人たちのデモ、署名運動はアメリカだけに限らずヨーロッパの国でも広がっています。






トランプ大統領と、メイ首相の会談では、メイ首相が、「イギリスはトランプ大統領ご夫妻を公式にイギリスにご招待したいと思います。」と発言。当然のことながら、直後にイギリスではこの招待に対して反対の署名運動が始まりました。そして3日経った今日、その署名数は100万人に達したそうです。

トランプ大統領を招待すべきかどうかはよくわかりませんが、一度招待したものをイギリス側からキャンセルする可能性は少ないように思います。でも、これほどトランプ大統領反対派が多いイギリスに来てもらっても....?イギリスに来たことで彼の政策に影響が出るのでしたら別ですけど。

どちらにしてももしトランプ大統領の公式訪英が決ったとしたら、一番お気の毒なのはエリザベス女王です。彼女は、その長い経験と賢明さでちゃんとおもてなしされることは間違いないと思いますが、決して心から歓迎したい人物でないことは明らか。女王のお仕事は本当に大変。

イギリスとこれから手を結んで貿易を促進したい、EUとアメリカの仲介役をする可能性のある国と仲良くしたいというトランプ大統領にとってイギリスと良い関係を保つことはとても大事です。イギリスは入国を拒否された七国の中には入っていません。だからイギリス人はハッピー? 違うんだなー。イギリスからだってイギリスで生まれた人がテロリストになっています。そういう人がアメリカに入国する可能性も十分あり得ます。一方入国を拒否される7国からは国や社会に貢献している人が沢山います。

「自分だけがいいのなら他は関係ない。」というのはイギリスでは最も卑劣な態度です。「正しいこととそうでない事。」は「自分」には直接関係のないところでも主張してこそ、本当の民主主義が保たれるのです。特定の国からの人の入国は全て拒絶することはテロ行為の解決法にはならないと思います。

陸上競技選手であり、オリンピックメダリストであるモー.ファラーは、競技だけではなくチャリティ活動にも積極的で、イギリスでは絶大な人気を集めているアスリートのひとりです。トランプさんに聞かせたい彼のことばです。






 
 
『今年1月1日に私は女王陛下から勲章を授かりました。そして1月27日ドナルド.トランプ大統領は私をエイリアンにしてしまいました。

私は過去6年アメリカに住んでいますがイギリス人です。懸命に働き、社会に貢献し、税金を払い、今では子供たちが ‘ホーム’ と呼ぶ国で4人の子供を育ててきました。そして今、私や、私と同じような境遇にある人たちはこの国では歓迎されないと言われるているのです。子供たちに父親が彼らの元に帰ることができなくなるかもしれないと告げなければいけないこと、そして彼らに大統領が無知と偏見からきた政策を取る理由を説明しなければいけないことが、今私の心を深く悩ませています。
 
 
 
 

 
 
私は8歳の時にソマリアからやってきました。(ソマリアはトランプが入国を認めていない国のひとつ)その時にはイギリスは私を歓迎し、夢を実現させるためのチャンスを与えてくれました。私は私の国イギリスを代表することを誇りに思ってきました。イギリス人のためにメダルを勝ち取り、最大の栄誉である勲章を授かりました。これらの私の経験は、憎しみと隔離からではなく、慈悲と理解を持った政策がいかにひとりの人間の可能性につながるかの一例です。』

 
 
 
 
 
今世界中に必要なのは連結と理解です。世の中が分裂しそうな気配に危機感を感じずにはいられません。

1/25/2017

日本から届いた本

冬場は仕事の数はゼロに近く、一度も仕事をしない月も珍しくありません。そんな期間は、翌シーズンにかけてのリサーチや、シーズン中は忙しくて時間が取れないこと、例えば読書などをします。

昨年暮れに2冊の本が日本から送られてきました。「お正月にゆっくり読みましょう。」と思ってとっておいた2冊です。

一冊は小関由美さんの「英国ティーハウスのオールデー.メニュー」で、西軽井沢で「ブリティッシュケーキハウス」というお菓子教室兼サロンを主催されている小澤祐子さんとの共著で出版されたものです。お菓子はもちろん朝食、夕食にも使えるレシピが沢山載っています。写真がとても綺麗。美味しそうなものばかりです。





さて、これらのレシピーをどうやってヴィーガン用にするか...これから頭をひねって考えることにしましょう。小澤さんの教室には私のお客様の中でも受講されている方が数人いらっしゃって私も一度お邪魔したことがあります。写真を見ると、英国菓子とはいえ、日本人独特の繊細さが感じられます。食べる前に目からよだれが出そう。

アンティーク専門家の小関由美さんは多くの英国の食、アンティークに関する本の出版を、また日本で英国関連のイベントも時々開催されています。

もう一冊の本は、ギルバート.ホワイトが書いた「セルボーン博物誌」の鳥関連部分を日本語にした「セルボーンの博物誌の鳥たち」の改訂版です。ギルバート.ホワイトは18世紀の牧師であり博物学者だった人物ですが、編纂、翻訳をされた井沢浩一氏はかなり前にギルバート.ホワイトが住んだセルボーンのウェイクス荘に同行させていただいたのがきっかけで時々メールの交換をしています。日本では八色鳥の研究と保護、また環境保全運動と多方面に渡って自然保護活動をされています。




‘ ...ギルバート.ホワイトはいわゆる学者ではなく、当時のアマチュア自然観察者を代表する人でありました。いやアマチュアの自然観察者であったからこそ、彼の自然観察は面白く、意義深いのです。彼は自宅付近で見かけられる動植物や鉱物や河川など、自然に対して愛情と畏敬のまなざしをもって絶え間なく観察し....(序文を書かれた福田京一さん) ’


また「はじめに」の項では井沢さん自らが、「セルボーンの博物誌」を最初に翻訳した西村退三など、これまでにギルバート.ホワイトに関わった人たちのことも書いていらっしゃって興味を注がれます。

‘ ...(「セルボーンの博物誌」は)最初はあまり注目を集めなかったようですが、チャールズ.ダーウィンやヘンリー.ディヴィド.ソローのような19世紀の自然観察者に大きな影響を与え、「自然観察者のバイブル」「エコロジーの先駆け」とも言われる本です。アメリカの博物誌家ジョン.バロウズは「この本がなければ完全な図書館ではない」とまで書いています。(井沢氏の言葉)’


ウェイクス荘はジェイン.オースティンが住んでいた牧師館から近くもあるので、その後数回訪れました。その広いお庭では、ギルバート.ホワイトが自然動物や野鳥の観察に夢中になった気持ちがよくわかるような気がします。次回、この本を持ってウェイクス荘を訪れるのを楽しみにしています。





1/20/2017

チリマーマレードとライオン


今日は2度涙を流しました。

ひとつはマーマレードにチリを入れすぎて涙。今年は色んなマーマレードに挑戦。中でもチリを入れたものが美味しくて数回作りました。ところが今日作ったものは完全にチリの入れすぎ。でも捨てませんでしたよ。他のプレインのマーマレードと混ぜて、もう一度煮直して美味しいのが出来上がりました。

 
手前がチリマーマレード。





もう一つの涙は映画です。先日「ラ.ラ.ランド」を見てあまりに良い映画だったので、話題作をもう一本見ました。それは英語では「Lion」というタイトルです。日本名は「25年目のただいま」です。
この映画にまたまた感動してしまいました。それは「A Long Way Home」という本をもとにした実話です。


 


ちょっとだけ内容を言いますと、話はインドの小さな村に始まります。兄の仕事に付いて駅まで来た5歳の少年が帰って来ない兄を探し、停車していた列車に乗ってしまいます。降りる間もなく少年を乗せた列車は出発してしまい、数日後には言葉も違うカルカッタに来てしまいます。

少年はカルカッタでは路上生活をしたり危ない目に遭ったりと色々な経験をした後で、ついには孤児院で暮らし始めます。最終的にはそこからオーストラリアに住む夫婦の里子になるのですが、20年以上経った時に、どうしてもインドの母親や兄を探し当てたいと思うようになります。そして記憶をたどりながら遂に母親を見つけ、再会するという話です。









里親役のニコール.キッドマンの演技はいつもながら感心しますが、主人公のサルー役の子が素晴らしかったです。そして大きくなったサルーを演じるデヴ.パテルも。 (上の写真)

最後に実の本人とその母親、里親が登場します(下の写真)。もうそれはそれは涙でした。25年前に、何故兄は駅で彼を待つサルーのところに戻らなかったのか? 何故オーストラリアの里親はインドからサルーを引き取ったのか? 何故本当の母親を見つける努力をしていることをサルーは里親の母に内緒にしていたのか? 何故それは結局は隠す必要のないことだったのか?などこの映画にはさまざまな人生、人の考え方や気持ちの違いが表されています。とても美しい映画でした。

本当のサルーと彼を引き取った里親。
人の心の広さ、優しさは無限であることをおしえてくれます。






サルーと実の母
 




今日は涙、涙の一日でした。

1/13/2017

ララランド

先日、ゴールデングローブ賞を総なめにした映画「ララランド」を観てきました。オープニングのシーンからワッ!と思いました。このシーンだけ撮影するのに3日間もかかったとか。そうでしょうね。カットなしで(そうでなくてもそういう風に見えました)、あれだけ長いシーンを撮ったのですから。奇跡みたいなもんです。





最近はコンピューターを導入したりして、映画製作方も変わってきました。昔の映画作りの技術が失われていくことに淋しさを感じていただけにかなり感激しました。



 
 
そしてとにかくロマンチック。でも一番感動したのは最後のシーンです。ほんの一瞬のシーンで人生の悪戯というものがいかに瞬間の選択で変わっていくかが実にうまく表されていました。主役のライアン.ゴズリングとエマ.ストーンの演技も抜群でした。100%満足の映画でした。どこもケチがつけられないほど。
 
 
 
 
 
もうすぐアカデミー賞が決定されますが、きっとそこでも沢山の賞をとるでしょうね。Singing in the Rainやヒッチコックの映画のように60年以上経っても話題になっているかも?。

1/12/2017

マーマレード作り

お正月が終わり、今年はいつごろセヴィルオレンジが出回るでしょう?とスーパーに問い合わせました。そうしたら「もう入荷してますよ!」とのこと。ちょっと待って。まだお正月が終わったばかりでしょ?

今年は早かったですねー。オーガニックのセヴィルオレンジを使うので、毎年ウェイトローズのスーパーから買っています。さて、いつもは、売り出されてからすぐに買い出しに行っているのに今年はちょっと出遅れました。

セヴィルオレンジは、スペインから来ます。酸っぱくて、苦くてとてもそのままでは食べられません。ですからスペインでは無視されたオレンジですがイギリスではマーマレードと言えばセヴィルオレンジと言われるくらい重宝がられている種類です。セヴィルオレンジを使って作られたマーマレードの特徴は苦いこと。ですから苦いのが苦手な方はだめかも? でも友人に「苦いのは苦手だけどセヴィルオレンジだけは例外」と言う人もいますが。






どういうわけかイギリスではオレンジマーマレードは朝にしか食べません。しかもトーストに(白いパンが合います)塗って食べればその味はイギリスの朝の味なんですねー。


毎年色々なレシピを試します。大きな違いはオレンジを先に丸ごとボイルするか、細かく切ってからボイルするかでしょうね。色がまず違いますし、コクも違います。お砂糖の種類も影響します。











あるレシピでは ‘グツグツ沸騰’ とあり、またあるレシピでは ‘優しく沸騰’ となっています。

結局はできるだけ沢山試してみて自分のレシピを完成することですね。私はもう15年以上も毎年作っているのにまだ気に入った自分のレシピを作りだしていません。でも今年はちょっといい感じです。

友人は今年はウィスキー入りのオレンジマーマレードを作ると言っていました。さてどんな味になるでしょう?






以前は30キロのオレンジを使ったこともありましたが、最近は生産量も徐々に減っています。この時期、オレンジの香りが家じゅうに漂えば気持ちが落ち着いて幸せな気分になります。