JALの機内誌AGORAが編集部より届きました。5月号です。特集のタイトルは「野生を抱く庭」。去年の7月の取材の際にコーディネートをさせていただきました。
以下、本文から抜粋してご紹介しましょう。
「メドウ」とはかつてイギリス各地で見られたイギリス在来の多年草が咲く牧草地のこと。 ・・・・・・・
(オリンピック会場に関して)
長年、重工業地帯だったため、土壌汚染と不法投棄のゴミの山は深刻そのもの。事態打開を図るため、市は「五輪開催と東ロンドンの問題解決の起爆剤とする」と訴え、招致レースを勝ち抜いた。地域再生のシンボルとなったのがメドウ風ガーデンだった。ごみ処理と土の九割を浄化する大掛かりな土壌改善で無害化された更地に、ボランティアがワイルドフラワーの種を一粒一粒蒔いた。そして迎えた五輪。汚染のひどかった場所に野の花が咲き、ミツバチや鳥が集まる光景人々はに驚いた。・・・・・
メドウガーデンは今や個人の庭でも取り入れられることもあります。取材でお邪魔したのはウィンズロウの隣村に住むジルさん宅(上)です。
ジルさんの家の庭はとてつもなく大きな庭ですが、私もメドウの雰囲気を少しでも味わえるようにと、今日庭の片隅に野生の花の種を植えてみました。あまり陽が当たらないので、ちゃんと育つかどうか?
ブルーベルもそうですが、その国、その土地で昔から息づいている野生の花はまた格別に美しいと思います。
AgoraはJALのビジネスクラスに搭載されています。ビジネスクラスに乗らなくても読んでいただける方法を今、きいています。わかったらこのブログでお知らせしますね。
5/06/2018
5/05/2018
ブルーベルのお花見
ブルーベルの季節がやって来ました。今年はサフォーク州の娘の家の近くの森にお弁当を持ってでかけました。彼女たちの家の近くに古い森があり、運転している車からはすでにイングリッシュブルーベルのフィールドが見えました。道端に車を停め、森の中にどんどん入っていきます。
ちらちらとブルーベル。
だんだん一面に広がるブルーベルが見えてきました。本当の色が写真にはどうしても出なくて残念ですが。
娘たちや彼女たちと1か月半同居しているフランス人にイングリッシュブルーベルとスパニッシュブルーベルの違いをおしえてあげました。娘たちの家の玄関横に咲いているブルーベルは「イングリッシュとは別物」ということを知ってショックだったようですが、これからは車で15分の森に来ればイングリッシュブルーベルはこの時期いつでも見れることを知って安心していました。フランス人はさすがです。「香水にしたらいいのに。」と。実はイングリッシュブルーベルはとっくに香水になっていて、いろんなところで手に入るんですよ。
お花見は日本人に限ったことではありませんね。私たちもお稲荷さんやおかずを持って、「さあ、ここで食べましょう!」と良い場所を見つけました。
この森にはワイルドガーリックもたくさん咲いていました。その葉はニラのような香りで、野菜炒めなどに最適です。
今年初めてのブルーベルでした。すでに真っ盛りの時期ちょっと通り越してしまって、うっかりすると一度もブルーベルを見ないで終わってしまうところでした。
5/03/2018
ずれているグリニッジの本初子午線。
グリニッジに住む友人Mは天文学マニアです。色々な協会に属し、しかも自宅のすぐ近くにグリニッジ旧天文台があるためにMはまるで自分の別宅でもあるかのように旧天文台に出かけます。そういうMの「グリニッジ天文台を案内してあげるから。」という誘いに乗って先月行ってきました。グリニッジと言えば旧天文台の他に旧王立海軍学校、紅茶を中国から猛スピードで運んだカティサークという船、そのほか歴史的に重要な建物が残りユネスコの世界遺産都市にも指定されている町です。しかもロンドンの中心から10キロという便利な場所ですから、観光地としても有名です。
17世紀にできた天文台。赤いボールが落ちるのが午後1時です。以前はこれが時報として使われていました。
観光はそこに住む人に案内してもらうのが一番。今回の案内役のM.
Mの後ろにあるイルカの彫刻。実は日時計になっているのです。2匹のイルカのしっぽの一番小さな隙間から入り込む日光で時間がわかります。
小さな隙間(グレイの色がいるか2匹の尻尾を表しています)を通して映る光がどこに当たるかで時間がわかります。
さてこの日、グリニッジの本初子午線が実は100メートルずれていることをMが説明してくれました。それまでは、そういう話は聞いたことはありますが別に真剣にも考えず、観光では天文台の敷地内に設定されたラインにまたがって、お客様に「東半球、西半球」同時に立ちながら写真を撮っていただいていました。そして今でもそれは変わりません。どのガイドも同じことをしています。そして世界中から訪れる人は、本当に西半球と東半球と同時に存在する自分の写真を撮っています。
子午線のことを少しお話ししましょう。18世紀までは経度を測る方法がなかったのです。これは大変困ったことで、航海中の船が居場所がわからずに難破したり、遭難するケースが頻繁に起こっていました。航海の途中で居場所を知るには月の位置と時間が必要です。でも波に揺られながらでは、それまで使っていた振り子の時計は役に立ちません。そこで王と政府は海の上でも時間を測定できる時計を発明した人に膨大な賞金を与えると約束して一般人に呼びかけました。それに成功したのがジョン・ハリソンで彼はクロノメーター という航海懐中時計を発明しました。
これにより海上事故の数もぐんと減りました。それまでの海路はとにかく真っすぐに進むことだけだったのですから、ちょっと間違えばとんでもない方向を目指すことになります。
そして1884年のワシントンD.Cで行われた国際子午線会議において、グリニッジの子午線を世界の公式本初子午線、つまり子午線0度にすることが決まったのです。そしてここから15度離れるごとに1時間ずつ時差をつけたのです。でもそれはあくまでも人間が作ったラインであって自然に作られたものではないわけですから、技術の発展に伴い、地球が少し屈曲していること、重力による差など知識も技術も発達した現在、何百年前にイギリスで決められた子午線(0度0分0秒)は天文台の敷地にあるラインから100メートルくらいずれていることがわかりました。ほんの数年前のことです。
公園を歩いているときに、Mが「本初子午線が通っているのはこの辺り」と教えてくれたのがここです。
この日から1週間くらい経った日、Mは奥様と日本に経ちました。奥様が画家で、絵を描くために日本のあちこちを6週間周るとのこと。あまり観光化していない、そして少し寂れたような場所に興味を持つ奥様Eは今頃、折り畳みの椅子に座りながら、北の方で桜と古くて小さなお寺を描いているかもしれません。
4/28/2018
コッツウォルズに行く途中で。
60歳半ばに40年近く住み慣れたロンドンを離れるということがどういうことであるか?引っ越す前、そして引っ越して1年になろうとしている今も時々考えます。引っ越した直後に感じること、生活しているうちに徐々に感じることと両方あります。引っ越した一番の理由は、何十年も願っていた「ロンドン以外のイギリスに住んでみたい。特に田舎に住んでみたい。」という気持ちが強く、これ以上行動を興さなければついに一生叶わないと思ったことです。
日本に行けばよく「年をとれば都会が便利」と言われます。でも私の場合、都会での時の流れがあまりに速く感じるようになり、足を止めて人生を楽しむことが困難になってきました。とはいっても大好きなロンドンです。便利さで言えば、地下鉄にピョン!と乗ればどこへでも行けます。友人たちに「今日、会わない?」と簡単に電話できました。
それがウィンズロウに来てからはできなくなりました。友人に会うのも、ロンドンに出るのも前もって計画を立てなければなりません。列車で行くときは予め切符を買わないと当日券はものすごく高くなります。町に3軒あるコンビニで買い物する際は、必ずひとつやふたつは品切れのものがあります。
それでも住んでいるうちに、その不便さがあまり気にならないようになりました。お店で手に入らないからといって食事が作れないわけではありません。返って代用品を考えたり、頭を使います。そうやって私の人生は徐々に田舎暮らしに慣れてきています。
昨日のブログに書いたDの家まで車で1時間半かかりました。ところが道中の景色の素晴らしさを楽しみながらあっという間にDの家に着きました。なんと1時間半の間に高速道路を使うこともなく、ビルの間を抜けることもありませんでした。通る道の両側には森、牧草地、畑が広がります。たまに通過する村や町は全てコッツウォルド石の古い建物ばかりです。
時々車を停めては写真を撮ったり、ブラブラ歩いたりしてDの家の到着は15分くらい遅れてしまいました。
昔、ロンドンからDの家に行くには高速道路M40号線を使っていました。この高速道路は例えばM1号線などと違って大きな町や、工場が集まった地域を走ることはないのでが、それでもドライブの楽しみ度が違います。昨日通った道は幹線道路であるA道路、またはもっと狭いB道路、または名前さえない道ばかりです。渋滞もありません。
不便さで言えばもうひとつありました。小さな村にはパブリックトイレのあるところが少なく、昨日は朝早かったためにパブやティーショップも開いていません。仕方ないので、道を歩いている人に聞いてみました。「残念ながらこの町にはパブリックトイレはないんですよ。でも私はこれからドクターの診療所へ行きます。あそこにはトイレがありますから一緒に来なさい。」とわざわざ私を診療所まで連れて行ってくれました。そこには清潔な広いトイレがありました!
少しくらい不便であっても、その\不便さに慣れると人間はけっこう自由に生きて行けるなーとつくづく思いました。ダーウィンの言葉にありますよね、(彼が本当にそう言ったのかどうかは証拠はありませんが)、「生き残る動物は頭が良い動物でもなければ強い肉体を持つ動物でもない。残るのは順応性のある動物だ。」って。
私に関して言えば、長い人生の中で全く違う環境に身を置くことがいかにリフレッシュになるかを発見しました。もっと早く引っ越して色々な場所に住みたかったなーと今になって思います。違った環境に身を置くことは何も引っ越しに限りません。仕事や職場を変えたり、新しい趣味をもったり、その道は色々あります。ウィンズロウはとっても気に入っていますが、最近あと1,2回は引っ越して他の町に住むのもいいなーと思うようになってきました。1年前の引っ越しでは所持品の半分を処分しました。今度引っ越す際はそのまた半分を処分して・・・・・
日本に行けばよく「年をとれば都会が便利」と言われます。でも私の場合、都会での時の流れがあまりに速く感じるようになり、足を止めて人生を楽しむことが困難になってきました。とはいっても大好きなロンドンです。便利さで言えば、地下鉄にピョン!と乗ればどこへでも行けます。友人たちに「今日、会わない?」と簡単に電話できました。
それがウィンズロウに来てからはできなくなりました。友人に会うのも、ロンドンに出るのも前もって計画を立てなければなりません。列車で行くときは予め切符を買わないと当日券はものすごく高くなります。町に3軒あるコンビニで買い物する際は、必ずひとつやふたつは品切れのものがあります。
それでも住んでいるうちに、その不便さがあまり気にならないようになりました。お店で手に入らないからといって食事が作れないわけではありません。返って代用品を考えたり、頭を使います。そうやって私の人生は徐々に田舎暮らしに慣れてきています。
昨日のブログに書いたDの家まで車で1時間半かかりました。ところが道中の景色の素晴らしさを楽しみながらあっという間にDの家に着きました。なんと1時間半の間に高速道路を使うこともなく、ビルの間を抜けることもありませんでした。通る道の両側には森、牧草地、畑が広がります。たまに通過する村や町は全てコッツウォルド石の古い建物ばかりです。
時々車を停めては写真を撮ったり、ブラブラ歩いたりしてDの家の到着は15分くらい遅れてしまいました。
昔、ロンドンからDの家に行くには高速道路M40号線を使っていました。この高速道路は例えばM1号線などと違って大きな町や、工場が集まった地域を走ることはないのでが、それでもドライブの楽しみ度が違います。昨日通った道は幹線道路であるA道路、またはもっと狭いB道路、または名前さえない道ばかりです。渋滞もありません。
不便さで言えばもうひとつありました。小さな村にはパブリックトイレのあるところが少なく、昨日は朝早かったためにパブやティーショップも開いていません。仕方ないので、道を歩いている人に聞いてみました。「残念ながらこの町にはパブリックトイレはないんですよ。でも私はこれからドクターの診療所へ行きます。あそこにはトイレがありますから一緒に来なさい。」とわざわざ私を診療所まで連れて行ってくれました。そこには清潔な広いトイレがありました!
少しくらい不便であっても、その\不便さに慣れると人間はけっこう自由に生きて行けるなーとつくづく思いました。ダーウィンの言葉にありますよね、(彼が本当にそう言ったのかどうかは証拠はありませんが)、「生き残る動物は頭が良い動物でもなければ強い肉体を持つ動物でもない。残るのは順応性のある動物だ。」って。
私に関して言えば、長い人生の中で全く違う環境に身を置くことがいかにリフレッシュになるかを発見しました。もっと早く引っ越して色々な場所に住みたかったなーと今になって思います。違った環境に身を置くことは何も引っ越しに限りません。仕事や職場を変えたり、新しい趣味をもったり、その道は色々あります。ウィンズロウはとっても気に入っていますが、最近あと1,2回は引っ越して他の町に住むのもいいなーと思うようになってきました。1年前の引っ越しでは所持品の半分を処分しました。今度引っ越す際はそのまた半分を処分して・・・・・
4/27/2018
友人の庭
久しぶりにコッツウォルズに住む友人のところに行って来ました。Dとは20年くらいのお付き合いでしょうか。一人暮らしの彼の家はいままでにもガーデンツアーのお客様をご案内したり、また「趣味の園芸」の取材班をご案内したこともありました。教師を早期退職した後はもっぱらガーデニングの暮らしをエンジョイしているDですが、庭ばかりではなく自宅も全て解放してくれるので、日本からいらっしゃった方々も、実際にコッツウォルズで100年以上経った古い建物での生活に触れることができてご満足いただいていました。
ところが数年前から迷い猫のトムが来て住むようになってからDの暮らしも変わりました。トム専用のベッドルームができ、そこだけはお客様に開放できなくなりました。とてもシャイな猫なので、初めてのひとを見るとサッとどこかに消えてしまいます。外には出ない家猫なので、Dはキッチンの壁に穴をあけてトム用の小さなドアを作り、そこから続くガーデンに3畳くらいの場所を金網で囲ってトムの遊び場としました。トムはお天気が良ければその金網越しにDの庭を眺めています。
さて、Dのことですが有名なバーンズリー・ハウスと関係があるのでお話ししましょう。バーンズリーハウスと言えば、チャールズ皇太子やエルトン・ジョン他多くの有名人を顧客に持ち、世界的に知られたガーデナーであり、ガーデンデザイナー、講師、作家でもあったローズマリー・ヴェリーが住んだ家で、彼女亡きあとはホテルになりました。ローズマリーが生前友人として親しくしていたのがDです。時間がある時はローズマリーの庭仕事を手伝っていました。ですから彼がその昔、近くにあった大邸宅の執事用に建てられた家を購入して引っ越した時にはローズマリーのアドバイスに従ってバーンズリーから運んできた植物を植えてD自身の庭を創ったのです。
ローズマリーがウェールズのボドナントガーデンからインスピレーションを受けて作ったキングサリのトンネルは、Dの家ではトンネルとまでは行きませんが、黄色の花のそばを通ると太陽が突然近くに来たように明るくなります。
そのうちにガーデン好きのSとK夫妻が隣に越してきてすっかりDと意気投合。ついでに私もフリーのガーデン・ライターでもあるSともお付き合いが始まったというわけです。今では両方のガーデンを仕切る生垣の間の一部を取り去ってクランブル(SとKの猫)が簡単にDの庭にも遊びに来れるようにしています。もちろん人間も出入り自由です。
Kはキッチンガーデンの隣にある100数十年前に豚小屋として建てられた小屋をサマーハウスにすると言って現在作業が進んでいます。新しいサマーハウスには床暖房も入れるとかかなり本格的。イギリス人の日曜大工は有名ですが、コッツウォルド石でできた古い豚小屋を改築するのは大変そう!
そして今回の訪問のハイライトはDの庭にあったブラックバードの巣 でした。運よく母親がいなかったのでちょっと覗かせてもらいました。
卵からかえってまだ数日でしょうか?でもちゃんと3羽とも息をしていて生命の凄さを感じました。他の鳥や猫、キツネに狙われずちゃんと巣立っていきますように。
帰りがけにDから庭の花の苗を沢山いただきました。彼の庭の植物のほとんどがバーンズリーハウスから贈られたものなので、私の家にもバーンズリーハウスの花の子孫が咲くと言うわけです!成長が楽しみです。
ところが数年前から迷い猫のトムが来て住むようになってからDの暮らしも変わりました。トム専用のベッドルームができ、そこだけはお客様に開放できなくなりました。とてもシャイな猫なので、初めてのひとを見るとサッとどこかに消えてしまいます。外には出ない家猫なので、Dはキッチンの壁に穴をあけてトム用の小さなドアを作り、そこから続くガーデンに3畳くらいの場所を金網で囲ってトムの遊び場としました。トムはお天気が良ければその金網越しにDの庭を眺めています。
さて、Dのことですが有名なバーンズリー・ハウスと関係があるのでお話ししましょう。バーンズリーハウスと言えば、チャールズ皇太子やエルトン・ジョン他多くの有名人を顧客に持ち、世界的に知られたガーデナーであり、ガーデンデザイナー、講師、作家でもあったローズマリー・ヴェリーが住んだ家で、彼女亡きあとはホテルになりました。ローズマリーが生前友人として親しくしていたのがDです。時間がある時はローズマリーの庭仕事を手伝っていました。ですから彼がその昔、近くにあった大邸宅の執事用に建てられた家を購入して引っ越した時にはローズマリーのアドバイスに従ってバーンズリーから運んできた植物を植えてD自身の庭を創ったのです。
ローズマリーがウェールズのボドナントガーデンからインスピレーションを受けて作ったキングサリのトンネルは、Dの家ではトンネルとまでは行きませんが、黄色の花のそばを通ると太陽が突然近くに来たように明るくなります。
そのうちにガーデン好きのSとK夫妻が隣に越してきてすっかりDと意気投合。ついでに私もフリーのガーデン・ライターでもあるSともお付き合いが始まったというわけです。今では両方のガーデンを仕切る生垣の間の一部を取り去ってクランブル(SとKの猫)が簡単にDの庭にも遊びに来れるようにしています。もちろん人間も出入り自由です。
Kはキッチンガーデンの隣にある100数十年前に豚小屋として建てられた小屋をサマーハウスにすると言って現在作業が進んでいます。新しいサマーハウスには床暖房も入れるとかかなり本格的。イギリス人の日曜大工は有名ですが、コッツウォルド石でできた古い豚小屋を改築するのは大変そう!
そして今回の訪問のハイライトはDの庭にあったブラックバードの巣 でした。運よく母親がいなかったのでちょっと覗かせてもらいました。
卵からかえってまだ数日でしょうか?でもちゃんと3羽とも息をしていて生命の凄さを感じました。他の鳥や猫、キツネに狙われずちゃんと巣立っていきますように。
帰りがけにDから庭の花の苗を沢山いただきました。彼の庭の植物のほとんどがバーンズリーハウスから贈られたものなので、私の家にもバーンズリーハウスの花の子孫が咲くと言うわけです!成長が楽しみです。
4/25/2018
菜の花畑
飛行機で日本からイギリスにいらっしゃる方々が、着陸寸前にその窓から見るイギリスの景色は田園です。産業革命のイメージが強く、初めてこの国を訪れる方々は「イギリスは工業地帯が多く煙突が沢山あるイメージでしたが、こんなに緑が多いとは!」とおっしゃいます。
でも今の時期、上から眺めるイギリスは緑と、そして眩しいくらいに刺激の強い黄色で覆われています。その黄色とはレイプシード(菜の花)の畑です。今では耕作地の17%がレイプシードの畑になっているとか。
1980年代になってイギリスの風景が変わった理由のひとつにこのレイプシードの畑があります。耕作地であったところがレイプシードの畑に変わったのは、レイプシード・オイル(菜種油)が見直されてきたからに他なりません。イギリスの文献に最初にレイプシードが登場したのは14世紀のこと。その油は産業革命後には蒸気機関の潤滑油として使われました。
そして今、菜種油が健康にも良いし、それを植えることにより土壌が改善される、環境に良いなどの理由から需要は高まるばかりです。
イギリスではベジタブルオイル、つまり揚げ物などに使う一般的な安価のオイルのほとんどは純菜種油です。1リットル1ポンド20ペンス前後(200円弱)です。
でもレイプシードオイルにも色々あって、低温圧搾(コールドプレス)の製法で作られたものは高価です。(500ミリリットルで4~5ポンド 650~800円)
健康面では、コレステロールの原因のひとつに挙げられる飽和脂肪がオリーブ・オイルより少なく、オメガ3が多く、そしてビタミンEをも 含むということで注目されています。
我が家では、最近オリーブオイルと同じくらい頻繁に使っていますが、この調子でいくと近いうちにオリーブオイルの消費を上回るかも? ヴィーガン料理にはオリーブオイルよりクセがなく、特にケーキを焼く場合はオリーブオイルより断然頻繁に使っています。
その上、こんなにイギリスに多くの菜の花畑があるのですもの、オイルの多くがイギリス産です。
菜の花畑に近づけば、きつい独特の香りにクラクラします。その匂い、そして目に痛いほど刺激の強い黄色に嫌悪を示すひともいないではありません。でも今年はあまりに長く続いた冬、そして来ないと思っていた夏が春を通り抜けて一気にやってきたことを知らせてくれる菜の花を歓迎する声の方が強く聞かれます。
でも今の時期、上から眺めるイギリスは緑と、そして眩しいくらいに刺激の強い黄色で覆われています。その黄色とはレイプシード(菜の花)の畑です。今では耕作地の17%がレイプシードの畑になっているとか。
1980年代になってイギリスの風景が変わった理由のひとつにこのレイプシードの畑があります。耕作地であったところがレイプシードの畑に変わったのは、レイプシード・オイル(菜種油)が見直されてきたからに他なりません。イギリスの文献に最初にレイプシードが登場したのは14世紀のこと。その油は産業革命後には蒸気機関の潤滑油として使われました。
そして今、菜種油が健康にも良いし、それを植えることにより土壌が改善される、環境に良いなどの理由から需要は高まるばかりです。
イギリスではベジタブルオイル、つまり揚げ物などに使う一般的な安価のオイルのほとんどは純菜種油です。1リットル1ポンド20ペンス前後(200円弱)です。
でもレイプシードオイルにも色々あって、低温圧搾(コールドプレス)の製法で作られたものは高価です。(500ミリリットルで4~5ポンド 650~800円)
健康面では、コレステロールの原因のひとつに挙げられる飽和脂肪がオリーブ・オイルより少なく、オメガ3が多く、そしてビタミンEをも 含むということで注目されています。
我が家では、最近オリーブオイルと同じくらい頻繁に使っていますが、この調子でいくと近いうちにオリーブオイルの消費を上回るかも? ヴィーガン料理にはオリーブオイルよりクセがなく、特にケーキを焼く場合はオリーブオイルより断然頻繁に使っています。
その上、こんなにイギリスに多くの菜の花畑があるのですもの、オイルの多くがイギリス産です。
菜の花畑に近づけば、きつい独特の香りにクラクラします。その匂い、そして目に痛いほど刺激の強い黄色に嫌悪を示すひともいないではありません。でも今年はあまりに長く続いた冬、そして来ないと思っていた夏が春を通り抜けて一気にやってきたことを知らせてくれる菜の花を歓迎する声の方が強く聞かれます。
4/17/2018
ブレッチリー・パークにブルーバッジが集まって。
ブレッチリーで働いた人たちに感謝の意をこめて暗号が破られてから70周年目の2011年にをエリザベス女王が除幕された記念碑。
何って書いてあ る?
数分考えました。「暗号の記念碑だから、そう簡単には読めないだろうなー。」とすぐにギブアップ。家に帰って調べたら・・・・・・
We Also Served でした。あら、簡単。言われてみれば簡単に読めました。
「我々もまた奉仕した。」という意味です。この意味を説明しましょう。ブレッチリー・パークで働いていたひとは極秘のもとに活動していたわけですから、誰にも自分たちの仕事のことは話してはいけない規則を守っていました。そして戦争が終わると、暗号解読に使われた機械は全て処理を命じられ、人々もSee you againではなく、Never see you againという気持ちでブレッチリー・パークを去って行ったのです。戦争後も秘密は守らなければいけなかったので、家族にも、友人にも誰にも話さなかったのです。
ウィンストン・チャーチル首相は、ブレッチリー・パークのスタッフを "the geese that laid the golden eggs and never cackled" (金の卵を産むカモ)に例えています。何故なら金の卵の殻は破られることが(crackと言って暗号を破ることも crackと言います)ないからです。それを生んだのがブレッチリー・パークのスタッフということで、ドイツの暗号は破られましたが、ここの暗号は破られることはないことを示します。
さて、秘密を守り通したスタッフですが、1974年に「The Ultra Secret」 という本が出版されてから次第に極秘が解禁され始めました。そして1993年にブレッチリー・パークが一般に公開されたのです。
この日集まったブルーバッジのガイドは50人くらい。先着順でしたから、来ることができなかったガイドも多くいたようです。日本人ガイドは私を含め2名のみ。もうひとりはなんと交通費を50ポンドくらいかけてきていました。私はラッキーにも家から車で20分以内で行けました。そうでなかったら、きっと私も躊躇したことでしょう。「ロンドン観光のついでにちょっと。」は不可能なので 、よほど興味のある人でない限り、日本の人が行くことはあまりないでしょう。でも、外国の人にも本当に素晴らしい訪問場所と思います。
絶対にcrackできないとヒットラーが信じていたドイツの暗号送信器「エニグマ」
それをcrackし、ブレッチリー・パークで開発された「ボム」のレプリカ。ちゃんと動きます。
いまだに秘密を守っている元ブレッチリー・パークのスタッフもここを訪れて初めてここで働いていたことを話し出す人も多いとか。 考えてみれば、頭が抜群に良くて、しかもおしゃべりではない人はそう沢山いるわけではありません。特別なことをしているとつい、人に話したくなりますよね。そういう立派な人たちが第二次世界大戦を2年縮めたというのですから、もっともっと彼らを称えてもいいでしょう。(実際にスタッフの3分の2は女性だったようです。)
それを忘れないように「We Also Served」の記念碑の言葉はぴったりだと思いました。最初にブレッチリー・パークに行ったときは敗戦国の日本人として少し複雑な気持ちでした。でもブレッチリー・パークの歴史は勝った、負けたではなく「2度と繰り返さないように。」することが目的です。それがここで働いた人たちへの最高のプレゼントになるでしょう。
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