9/21/2014

理想の住処 ‘レッドハウス’

ウィリアム.モリスが妻ジェインとの新婚生活を始めるために建てたレッドハウスに行ってきました。今回は半日のみの仕事で、列車、タクシーを使ってご夫婦をご案内しましたが、ご主人は建築家でした。建築家の目からご覧になったレッドハウス、またまた新しい発見が色々ありました。






モリスが実際にレッドハウスに住んだのは5年間だけでした。でもその5年は彼の理想の暮らしが凝縮された5年間でした。それは気の合った仲間との労働から生まれたものです。建築から内装まで完璧に自分の好みを反映させたこの家では二人の子供が誕生し、ここでの暮らしはモリスの人生の中で最も幸せなものでした。


私は、この家がとても好きで仕事以外にもたまにプライベートで訪れることがあります。そこは私にとって、なにか懐かしい思いを感じさせてくれます。小さい頃に西洋風の民家を訪れた時のことを思い出します。懐かしい木の家具の匂い、肌触り、部屋以外の場所の空間の取り方がそう思わせるのかもしれません。


そして日本の漆に似せた塗装を施した家具、煉瓦のざらざらした赤い表面の感触....


建築を担当したフィリップ.ウェブはアーツ&クラフツ運動家の中では知名度が低いかもしれません。でもその後の建築の分野に大きく貢献した人です。私がレッドハウスに行くと‘懐かしい気持ち’になるのは彼の影響を受けた日本のアーツ&クラフツ建築が私の体の中で蘇るからかも?


ウェブの設計は内部から始めるという方法をとったので、建物の外観がちょっと変わっています。でも、「使いやすく、そして美しく」というアーツ&クラフツの思想に合った素晴らしい家を完成させました。






急こう配の屋根、装飾的な煙突、窓の尖ったアーチ.....中世の雰囲気がいたるところに感じられます。


当時は周りに何もない田舎のこの場所をモリスが選んだ理由のひとつは、彼が愛したチョーサー作‘カンタベリー物語’(14世紀末)の中で巡礼者が通ったカンタベリー大聖堂への道が近くを通っていたこともありました。


モリスはガーデンへと続くこのポーチに‘巡礼者の安らぎ’と名付けました。



 
 

その壁の一面を覆ったタイルに、ゴシック式にしたモリスのイニシャルと、彼のモットーである “Si Je Puis (If I can)”の文字が見られます。







中世の絵を参考にして、フィリップ.ウェブや、やはり友人であり画家のバーン.ジョーンズ(特にステンドグラスのデザインが有名)がデザインしたステンドグラスの窓は私たちの目をガーデンへと誘います。








このレッドハウスで、特に私の好きな空間は、階段と、出窓です。

建物のフォーカスポイントであるこの階段は、中世の教会の尖塔を思わせる欄干が立っていますし、階段を登り切ったところにあるアーチの煉瓦も当時としては珍しくむき出しになっています。素材の美しさを大切にしたモリスだからこその思いが表れています。






 
 
 
If I can......モリスではありませんが、もしここが私の家だったら一日中この出窓に腰掛けて本を読んで過ごすことでしょう。目が疲れたら外のガーデンを眺めたりしながら.....


5年後の1865年、経済的な理由でモリス一家はレッドハウスを離れ、ロンドン中心に移り住みます。自分たちで建てた理想の家を離れることはモリスにとって身を切られる思いだったに違いありません。レッドハウスのために揃えようとしたものが見つからないために自分で家具、装飾品の会社まで作ってしまったモリスです。


レッドハウスを離れてからも装飾デザインは続けますが、彼の目的は‘一部の人のみではなく、全ての人が楽しめる芸術品’を作ることでした。美しい芸術品とは中世の職人のように手仕事から出来上がったものです。機械で大量生産して作られたものよりは当然値段も高くなります。つまり裕福な人のみ、限られた人のみが手に入れるものとなってしまったのです。


そうした矛盾は彼の社会主義の思想に反する結果となりモリスを悩ませます。
また妻ジェインと友人ロゼッティの関係もあり、レッドハウスを離れてからのモリスの人生は葛藤との戦い続きだったのかもしれません。


その後、人生最高の日々を過ごしたこのレッドハウスをモリスは二度と訪れることはありませんでした。







「家と言うよりは詩そのものだ。」とロゼッティが評価したレッドハウスは、モリスのみならず私も含め多くのひとの理想の住処かもしれません。