9/07/2016

貴族の悩み

モーバラ公爵が所有するブレナム宮殿やベッドフォード公爵のウォバンアビーなどを見学するとお客様は「こういうところに住むのってまるで夢の世界ですね。」とおっしゃいます。そのたびに私は「いえいえ、実際に住むと色々苦労があるものです。」とまるで私が所有しているように答えます。

ナショナルトラストやイングリッシュヘリテージのような保存協会の手に渡ればそこが管理をしてくれますが、いまでも個人で所有しているところは本当に大変そうです。

 
イングリッシュ.ヘリテージが管理するケンウッドハウス
 
 




ナショナルトラストが管理するオスタリーハウス
 
 




個人所有のブロートン城




個人の場合は広大な敷地の芝刈りに始まり(ご自分でされるのではないでしょうけど。あまりに広い牧草地は羊がちゃんと維持?してくれます。)、敷地の管理、スタッフのまとめ役、雨漏り(バケツを下に置いただけではすまない大漏れ)など彼らは彼らなりに私たちには想像もつかない程しなければいけないことがどっさりあるのです。

でも、その中でも一番の悩みは金銭的なこと(みたいです)。これだけの土地、建物を管理するということはひとつの企業を動かすのと同じです。それ以上に第一の目的である建物の保存は普通の企業以上の苦労があるはず。

以前、ハリーポッターの映画にも使われたアニック城に住むノーサンバーランド公爵に関する記事が新聞に載っていました。その中で公爵はこうおっしゃっていました。「一般の人には夢の生活と思われるでしょうが苦労は沢山あります。維持していく金銭面、そして一般に公開するということはプライベートの生活にも影響があるということなので子供たちが小さかった頃は気を遣いました。」

時代時代にタイトルを授かった貴族はタイトルに恥しくない豪邸を建てました。その時はビル. 
ゲーツも顔負けの大金持ちであったのが、当時の政治の犠牲や投資の失敗、戦争などで財政が苦しくなってきます。それを解消する手っ取り早い方法はお金持ちのお嫁さんをもらうことでした。

9代目モーバラ公爵はアメリカの鉄道王の一人娘と結婚し財政困難を切り抜けましたが、結婚は失敗。始めから愛が存在しない結婚でした。二人の男の子を生んだ妻のコンスエロ.ヴァンダビルトは「私はエアー(後継ぎ)とスペアーを作りましたので、義務は果たしました。」と言って宮殿を去ります。お金が欲しいひとと、タイトルがほしい人の結婚はホーガースの風刺画にも描かれていますね。


ブレナム宮殿
 
 




大邸宅の大きな財政問題は税金、特に相続税です。1900年に入ってからはなんと1200の館が壊されています。その中には400近くの「建築上最も重要な建物」も含まれていました。すぐにお金になる館はホテルや宴会場、プライベートの分譲マンションなどに姿を変え、他は壊されて永遠になくなってしまったのです。

今でも館の売却とまではいかなくても時々貴族の財産、名画や銀の食器などがオークションにかけられています。特に価値のあるものは美術館、博物館が買うようにします。そのための一般募金運動もあちこちの美術館、博物館で行われています。

バーミンガム郊外にあるバッズリー.クリントンは15,16,17世紀に(堀は13世紀)フェラーズ家の人々によって建造、増築、改築されました。エドワード.フェラーズはヘンリー8世の臣下のひとりでしたが‘サー’の称号は持っていても貴族ではなく、特にお金があったわけでもありませんでした。









しかし、これまでにここに住んだ人たちはなんとかして建物を保存することに力を注ぎます。その理由の一つは一族の歴史、特に宗教的な理由があったでしょう(フェラーズ家は宗教改革後もずっとカソリックでした)。でも一番大きな理由は館の代々の主が「古き時代のイングランドの封建社会での荘園主の暮らしの歴史、建物」に芯から興味を持っていたからだと思います。

エリザベス一世下で行われた「カソリックの神父狩り」は、バッズリー.クリントンをも巻き込みました。フェラーズ家はその時、すでにカソリックの神父をかくまっていました。1591年10月、神父狩りの手がバッズリー.クリントンにもやってきましたが、機転の利く召使いのおかげでトイレの下にある‘プリースト(神父)ホール(穴)」と呼ばれる隠れ穴に4時間隠れた末、神父は命拾いをしたのでした。

もし見つかれば、神父どころか館の主も処刑、そして館を含む財産も没収された可能性が大です。


キッチンの床から梯子を使ってプリーストホールに逃げた神父はここで息をひそめていました。





でも、バッズリー.クリントが今存在している一番大きな理由は19世紀にここに住んだクオーテット(The Quartet)と呼ばれる4人組がいたからこそのことと思います。マーミオン.エドワード.フェラーズは1813年に生まれここに住むフェラーズ家では12代目にあたる人物です。彼は先祖代々住みついたバッズリー.クリントンをこよなく愛します。彼の妻レベッカはマーミオンより17歳も年下でしたが以前からカントリーハウスを訪れることが好きで、バッズリー.クリントンにも深い愛情を抱いていました。

さほど裕福でもないふたりは館を保存するために苦労しますが、そのうちにレベッカの伯母であるレディ.チャタ―トンとその夫であるエドワード.デリングが同居します。彼女たちも古い建物に深い興味を持っていたので、バッズリー.クリントンにも深い愛情を示します。そして修理、改築に多大な援助をしたおかげで、4人が健在な間は古き良き時代を懐かしく思う芸術家、例えな詩人ワーズワースや作家ディケンズなどがロマンを求めてバッズリー.クリントンを多く訪れていました。

レベッカは画家でもあり、館内には彼女の絵が多く見られます。下記の肖像画は全てレベッカの手による4人組の肖像画です。

 
マーミオン
 



レベッカ
 
 
 
 
レディ.チャタ―トン
 
 
 


エドワード.デリング
 
 



グレートホールでくつろぐザ.クオーテット(4人組)
 
 
 
 
今のグレートホール
 
 




4人亡きあとに館は売却されますが、買った人々もまたバッズリー.クリントンをまるで生きている家族のように大切にします。それぞれがこの館の保存のために努力し、ついにそのうちの一人が1980年にナショナルトラストに寄贈してバッズリー.クリントンは永久に保存されることになったのです。

主は変わっても館はそのまま。そしてそこに住んだ住人の歴史も変わることなく将来の世代に受け継がれていくのです。


キッチンで館の歴史を熱心に説明するボランティア.ガイド
 
 



 
庭でもボランティアのガーデナーが。
 
 



 
彼らたちに話しかけてみると、ザ.クオーテットの存在が感じられるような気がします。ボランティアのひとたちもやはりバッズリー.クリントンに愛情を持っているのがわかります。見事なダリアは、バッズリー.クリントンの将来を祝っているかのようです。
 
 

 


 静かにこのベンチに座るときはザ.クオーテッとのことが自然に思い出されます。


 
 

イギリスに今でも多く残る館を訪れる時、そこに住んだ人たちの保存に対する並々ならぬ努力を思わずにいられません。